ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

ストレス問題の不思議

今月から「ライフストレス研究所」を立ち上げて、私はコーディネーターとしての役目をはたしていくことにしました。もちろん、経営的支えは「オフィスたぐち」が行っていきますが、私はその代表でもあります。

しかし、実際にはこの4年間、実験的に、様々な方式で研究会を開催していくなかで、コーディネーターをしてきたのも事実です。

今後の夢は、このライフストレスという研究におけるフロンティアを一緒に歩いてくださる研究員の方と出会っていくことです。とはいえ、論文を書くとか、学会で発表するとか、それも否定はしませんが、多くの生活者の暮らしに活かすための学びを深めていきたいのです。

「暮らしに活かすやさしい人間学」という表現で「ライフストレス」を表現することもあります。また、このブログのテーマの「響き愛 照らし愛」という言葉を使うこともあります。

今日は「ストレス」について説明をしてみます。動物実験から始まったストレス研究では、様々な不快な刺激を「ストレッサー」と呼び、心身、体内、脳内・・に発生している負荷によって機能に歪みが生じていることを「ストレス」と呼びました。

自然界では、このような不快な刺激があったときには、闘うか、逃げるかで避けるはずなのですが、動物を拘束して不快なストレッサーをかけ続けると、最終的には抵抗力がなくなって死に至るということが発見されました。

そして、人間の場合には、この不快な刺激は「心理社会的」なものがあるとされました。これでは、不快な事柄や人間関係から逃げられずに疲弊していく人間像ができてしまいます。

もちろん、コーピング(対処法)が適切であればよいのだとされて、言葉、思考パターン、行動、人間関係について、ストレスを軽減させる方法を提案するのですが、もはや、ここで問いがくるっていることに気づきます。

騒音、刺激臭、まぶしさなどの物理的な刺激への対処モデルと、「心理社会的」問題を同列に扱ったために、「ストレスを軽減するために思考し、会話し、行動する」という奇妙な話になっています。

ストレスが生じているということは生き方の偏りを見直したり、自分に不足しているスキルに気づくためのチャンスです。どのように生きるかという人生の主人公としての問いが最も大切であり、ストレスの専門家はそれをサポートするように支援しなければなりません。

ストレスを軽減するために、生き方の修正を迫ることは、かろうじて、精神的な疾患に至った人には許されるかもしれません。それは治癒をめざすための手段だからです。

しかし健康に前向きに生きようとする者は、調和した生活、豊かな人間関係、意味ある人生を求めて進んでいくものであって、ストレスを下げるために生き方を変えることは本末転倒です。

ライフストレスとは、心身の機能(生命)、生活、人生における「出来事」を受け入れることができずにいる状態であり、出来事を「異質なもの」「異物」としてとらえています。

それは自分が暮らしている世界が願望でできているから、そこに真実が顔を出していて、不快なのです。

それを、心の中でああでもない、こうでもないと、繰り返して悩むことで、ストレスは増大していきますが、それは願望世界が壊れないようにしている防衛反応です。

やはり、簡単に説明する力が私には足りません。このことをよく考えてみてください。また、次回を楽しみにしてください。