ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

探索のはてにあるもの

私たち人間は自分を含む環境を探索して「どのような行為によってどのようなことが起きるのか」を情報システムとして獲得して活用して生きる。

環境の広がりとともにシステムが変化していくが、これは知的なものではなくて、体験の中で獲得していくものだ。

その意味ではそれぞれが自分の住む社会において周囲の人と仲良くなり認められて役割を果たしていくなかで成熟していくものだろう。

聖賢がのこした人類の精神的遺産は哲学や宗教や道徳として残っているが、その本質はやはり体験の中で獲得した情報システムであると思う。

ただ、その環境が全体であり実在であり、そこで暮らしてはじめて獲得できるということだろう。

まずは、聖賢のように実在を前提にして暮らすものとともに生きる必要があり、仲良くなり、認められて、役割を果たしていく。

社会人一年生のように入門して道を進んでいくことになるだろう。

先行者との交響。自分なりの取り組み。そこから始まる。

社会人の場合は「大人」になるというテーマだったが、実在との関わりにおいては「本当の人間」になる。

それは主体性の伸展によるが、その極致といってもよいだろう。

聖賢の教えにヒントは満ちている。

あとはやってみることだ。

それを他者に伝えるためにどのように表現するかは次の課題だ。

しかし、このような提案は科学全盛の時代、宗教ではないか、スピリチャルだろうと否定されるかもしれない。

集団で同じものを信じようと強制する話ではなくて、逆に主体性の先に実在に向き合ったとき、先人を頼りにしようという話だ。

いかに生きるかという人間学のテーマに迫っているのだ。

現代社会では価値観とは、自分のやりたいことと同一視されている。

それも間違いではないが、自分のやりたいことをするために生きるという答えが本当に人間の生き方なのか。その先はないのか。

それを探求しているのだ。