ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

(無題)

人間の変容をもたらすのは、環境とのやりとり、関わりですが、動物と異なるのはこの環境が物質的・社会的・精神的な合成物であるということです。

神経質な人が見ている世界は、繊細で危険に満ちた世界であり、外向的な人が見ている世界は、チャンスに富んだ魅力的な世界です。

その意味で呪術的世界、神話的世界、宗教的世界、封建的世界など、その時代の人間が見ている世界は今日の私たちが見ている世界とは異なっています。

神の実在が前提だった世界では、その有り無しを議論するというよりは、神聖な生活の一部であったでしょう。

私たちが経験を積みながら最適化した信念・思考・行動は、その時代、社会、そして自分の経験した世界から生まれたものです。

しかし、その結果が歪みを生み出しているということは、見ている世界がゆがんでいるということになります。

それを聖人・学祖が見ていた世界、科学的に矛盾のない世界を再構築して、そこで最適化した信念・思考・行動を生み出せば、よい結果を生むのではないか。

では、この「世界」の変容はいかにしてなるか。

それは繰り返しの体験しかないとされています。

子どもが物の名前を憶えて、今度は名前から物の姿をイメージするという繰り返しをすることで、私たちは言語とイメージが接続した「世界」を獲得します。

神が実在する世界を獲得するのは、繰り返し生活の中で神に祈り、神に奉仕し、神とともに暮らすことです。

祖霊が実在する世界を獲得できるのは、いますがごとく、手を合わせ、お花、お線香、灯明、お水や食べ物をささげ、報告をし、祈らせてもらうからです。

先人がお手本をしめしながら、そのような「世界」を獲得していきます。

最高道徳の実行は、そのような「最高道徳の世界」構築にむけてのもので、その繰り返しで本物になっていきます。

そして、その精神的世界が本物になっただけ、それをふまえた信念・思考・行動が最適化されていきます。

つまり、行動化のステップ、従来の精神的世界を有しながらも、最高道徳の世界で求められる考え、感じ方、行動を繰り返していくという段階があります。

次にそれを繰り返していくなかで、世界創造のステップとして、世界の見え方が変わってきて、自然に最適化された、新しい考え、感じ方、行動が生じてきます。

これは私の反省なのですが、これがうまくいかないとしたら、1段階の従来の世界のままで、新しい行動化をしていくが、結局、世界が変わらずに行動も戻っていくということかと考えます。

しかし、この座談会では、多くの先輩方がたくさんの知識を得て、発する言葉が変わり、行動も変わっているようです。

思うに、私は学問的に人間科学や人間学を学んできて、その中でモラロジーも検討してきたために、繰り返しの「信念」構築という作業を経ていないのでしょう。

心すべきことだと考えています。