ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

久しぶりのブログ

このところ私の専門についての取り組みでは研修の資料制作以外では、Twitterへの書き込みをするくらいだった。ライフストレスケアの着想を断片として書き連ねてきた。

どこまで進んで、どこからが未開拓なのか。それも分からずに同じところをぐるぐると回っているようにも思える。

公認心理師が大量に登場していく社会にあって、私のように心理主義を離れて、心身相関、さらには自分を含む環境を情報システムとしてとらえて、そのバランスを制御していくための支援を志している者にとって、独自の領域を確立するにはどうしたらよいのか試行錯誤の連続だ。

相談者はときに自分の心の内を語りたくなる。過去から現在までの物語をどのように位置付ければよいのか、自分という存在を保全しようとして一貫した説明方法を見つけたいのかもしれない。

それが仮に現在抱えている問題の原因になっているのだとしたら、関心を持たないほうが不思議だろう。

しかし私にはそれが罠であると感じられる。そうやって過去を想起しつつ解釈を重ねているとき、他者の心を推測して出来事を叙述していくときに、次第にそれがひとつのシステムとして固まっていき、その延長で未来を考えるようになる。

私はそれが過去に対する解釈、他者に関する解釈によって、必然として様々なことが決まっていくことを求めているようで、自由に感じ、考え、行動していく主体性の世界とは対極にあるように思えるのだ。

それに対して自らが体験として環境を探索して獲得してきた情報システムは似て非なるものだと考えている。当面、この説明をていねいにしていくことが大切だろう。

私たちが大切にしている生き方である、本当の意味で他者の存在を認めるには、自らがすべてを自分事として取り組んでいる主体性のある人間でないといけない。そうやってはじめて、独立自由な人格をお互いに認めることができるのではないか。