社会を探索すること
私たちは「どのような行為によってどういう結果が得られるか」その探索行為によって自然界のことわりを知る。
同様に社会の一員として仲間となって認められて役割を果たしながら社会での生き方を知る。これも探索行為になる。
後者が前者と異なるのは、他者とのつながりがないと探索が成立しないことだ。
特定の社会に紛れ込んだ「異邦人」がその社会の人と交流をしなければ、どう生きていいかも分からないだろう。
さらに人生の探索となると価値の世界の話になるが、どのような価値観で生きればどういう結果になるか。それは自分の一代では確かめようもなく、人類が世代を超えて、聖人、賢人と言われる方に導かれて得た「人類の精神的遺産」をどのように継承するかと言うテーマになるだろう。
この生物的な一代性を超えたところに価値の世界はある。
生命、生活、人生というライフにおいて、探索して発見した「情報システム」があって、それに従いつつも、自由な選択を繰り返して、全体のバランスをとっていく、制御の力、コントロール感、主体性の力が大切になる。
いかに生きればよいかという人間学は、概念としての答えがあるのではなくて、情報システムの制御の熟達のことである。
このテーマにむけて、私自ら探索行為を続けていきながら、他者の探索を支援していきたい。なぜなら、それぞれのライフがあって、この実在の世界は探索の仕方によって得られるシステムが異なるからだ。打てば響くが、打ち方によって響き方は異なる。
その分野にも専門的な支援の領域があってしかるべきだ。
私はそれをライフストレスケアと呼んでおり、暮らしに活かすやさしい人間学でもある。