ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

出来事の分析

前の記事で、出来事とは関係性であると書いた。

アドラーなどは個人の心を分解して部分を想定することに反対して、あくまで「心」は全体として一つだと主張した。

しかし出来事としてみれば、物質世界と精神世界の関係性に見えるし、自分と他者、自分と集団、自分と社会、自分と身体などの関係性に見える。

分解や分析をすると、全体を表すには関係性を示す必要が出てくる。

私も、ライフを生命・生活・人生というふうに分解したので、それぞれを説明する人間観を示し、その関係性、使い方を示すことになった。

同様に、出来事から「自分」を切り出してしまうと、それ以外の部分を分解したり、それをまとめたりしながら、関係性を示すしかなくなる。

でも、目の前の出来事は一つであって、それを受け止めて味わって、次の主体的選択をすることで、新しい出来事に出会っていく。

つまり、個人心理的人間観において、出来事から「自分」を切り出して、他者も一人づつ切り出していったとき、環境としての物質世界、文化社会的世界が見えてくる。

そうなると、そこには「自分」が「他者」の行動を予測して、自分の行動を選択しているという説明が出現する。

しかし、出来事から「自分を含む集団」を切り出して、物質世界、文化社会的世界といった環境を背景にして、集団がどのようにして出来事を生み出しているかと問う。

そうなると、集団のシステムと個人の関係が見えてきて、それが、個人の主体的行動選択につながっていると見えてくる。

出来事から「自分と相手」という二者関係を切り出すと、環境を背景として、その二者がどのように出来事を生み出しているかが見えてくる。

仮に、以上のように整理したとしても、それは日常感覚とは程遠いものだ。むしろ、出来事に潜んでいる無自覚な傾向を発見するための視点であるように思える。

つまり、本人は、二者関係、集団というシステムが出来事の成立に影響しているは無自覚であって、自由に行動選択をしているように思っているということだろう。

これは、思考法、世界観、人間観の選択にも通じるもので、心理学的には「信念」(スキーマ)とでもいうべき層の話である。

このような無自覚な傾向を「自覚」することで、行動選択を変えていくことは可能だと考えられる。

その意味では、システム的、二者関係の視点によって、自分の行動選択の癖を知り、それが不都合であれば変えていくことは有益だと思う。