ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

人間観と自分(自己)

個人心理的人間観をつかって出来事の成立を説明しようとすると、うまくいかない。

それはすでに述べたように、複雑な社会で自立して他者と協調して暮らすために便利な人間観ではあるが、実在や現象について掘り下げようとすると途端に矛盾が噴出する。

この枠組みのまま、探求を進めていくと、無自覚な「心」というものを仮定して、想定を重ねていくことになる。

だから、結局のところ、哲学的、神学的、科学的、様々な人間観をつかって、この世界や人間について説明を企てることになる。

実践的な支援を目指しているメンタルコンサルタントとしての道具立てとしては、上記の理論は必要としない。

出来事、ライフ(生命・生活・人生)、それを支える「生理的人間観」「脳科学的人間観」「個人心理的人間観」「個別世界的人間観」「主体的人間観」を駆使しながら、ライフ創造のための行動選択を支援する。

しかし、ライフを生命・生活・人生の三つに分けたように、出来事への理解を進めるためには、異なった視点で見ることも大切である。

個人心理的人間観は、私たちの日常意識の大部分をカバーしているが、この人間観に基づいて「出来事」(ライフ)を観察してみる。

この場合の出来事には「自分」が含まれている。この「自分」を正確に定義することは難しいが、この人間観では「自分の身体、そして並行して働いている心」のことである。

本来一つである出来事から、この「自分」を切り出すと、自分と自分でないものの関係性が出現する。

個別世界的人間観では、自分の観ている世界は自分がつくっており他者はその登場人物にすぎないし、この場合、自分とはこの世界のことにもなる。

また主体的人間観では自分とは選択機能であり、出来事があって、選択をしているという実体があるだけだ。

そして生理的人間観では、内界の生命は外界とつながって働いているが、自己、非自己としてあるのは、遺伝的な自己規定であり、さらには免疫機構による侵入してくる他の排除である。それを自覚できるわけではないが。

脳科学的人間観では、自分とは脳神経細胞神経伝達物質で形成されている特定のネットワークが自分であるが、それを自覚できるわけではない。