ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

固定された関係性

個人心理的人間観において、身体、そしてそれと並行して働いている心を自分だとすると、本来一つである「出来事」が「自分」と「自分以外」に分けられる。

そこで、出来事に向き合って次の行動選択をしていくときに、自分と他者、自分と自然、自分と社会、自分の心と身体など様々な関係性を想定して、そこに自分の選択の癖を見出すことが可能になるかもしれない。

あるいは、出来事から「自分を含む集団」を切り出すと、「集団」と「集団以外」が出現して、その関係性を論じることができるようになる。

また、集団内部をみれば、集団というシステムと個人の関係が出現して、たんに自分と他者の関係性によって出来事を見直しているときには見えなかった自分の行動選択、他者への想定の選択などが見えてくるかもしれない。

そして、そもそも、ライフ=出来事は一つであるが、それを生命・生活・人生というふうに三つにわけたことで、主体的行動選択に関係する人間観を見出したのだから、このような「自分」や「自分を含む集団」を出来事から切り出して、関係性やシステムを考察することは有益だと考える。

とくに、自分が行動選択をするときに、相手がどのような行動をとるかを予想したうえで行うことになるが、実は、相手のほうも、こちらがどう行動するかを予想している。

このような相互関係にある以上、お互いの行動が次の予想を促し、それで次の行動が決まるというふうに考えると、ここでの主体的意思決定は脆弱なものになる。

私がシュミレーション世界と呼ぶように、自分の意志を働かせているものの、あくまで予測を前提にしているということだ。

そうやって、お互いの予想が想定内になってきて、関係が安定したとすると、それはまるで、筋書の決まったドラマのようにおなじようなセリフや態度を繰り返していくようになる。

異なるのは、場面や道具立ての違いであって、本質的には変わらない関係性が構築されていく。