ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

2018-01-01から1年間の記事一覧

自己覚醒の手順

相手の感情的な態度に対して、こちらも感情が動いて、不快になったり、不安がわいたり、防衛的になったりする。 そのときに、思い出すのは、その相手の姿は、自分が構成して生み出したものであるということだ。 自分の世界は、生命、生活、人生の創造にむけ…

分霊の世界

適当な言葉がないので「分霊」という宗教色のある言葉をつかっているが、自分が体験している世界は自分独自のもので、その意味では、自分が世界を構成し創造しているともいえる。 その創造者としてのニュアンスをこめた言葉が欲しいのだ。 しかも、それぞれ…

主体性という薬

自我の軋轢が、冷静な解決を阻害して、感情問題へとゆがめていく。 それゆえに、相手の自己中心性、共感性の欠如について、悲しんだり、腹をたてることになり、結局、自分が被害者、相手が加害者になり、自我の領有化の対立という様相を呈することになる。 …

私の実践

自分の身近な人とは距離をとることが難しい。 そこで、相手が「自我」をむき出しにして、願望世界のなかで、苦悩している姿が見えたとする。 相手が複数になると、それらの者の争いが自我のぶつかり合い、お互いの願望世界の軋みとして見えてくる。 そうする…

主体性と「法則界」

自分とは、自分で動かせる主体性の部分と、自分では動かせないマクロの摂理(法則界)の合成である。 身体を考えると、自分で動かせる呼吸、筋肉、感覚、行動、言葉、食事、睡眠、運動、資源活用という主体性の項目があるが、それを支えている自然性の部分、…

役割と主体性

集団が精神的な意味でリアルでなくなって、自我の延長としての資源化していると書いた。 しかし、精神的には自我中心的であっても、やはり、集団を成立させるために「役割」があり、それを果たすことによって、何かの利益を手にするということは事実としてあ…

集団というフィクション

すでに書いたように、個人が社会から切り出された時代にあっては、各自が前提にしている所属集団は、かつてのようにリアリティを持ちえず、幻想の一部となっている。 進化の過程では、個人としては自己保存的で競争的な者が有利であるが、集団相互の競争では…

家族の現実からの考察

かつての「家」という観念がなくなったこと。 個人が社会から切り出されて、心理的にも個人の意識が前面に出るようになった。 集団の存続が、個人の存続だということが知的には分かっていても、自分の願望を犠牲にしてまで集団の役割を果たそうとする精神が…

家族へ夢見ること

ドラマや映画でも「家族」の愛について扱ったものが感動を呼びますが、そこに現代人の願望を観ることができます。 夫婦愛、親子愛、祖父母の孫への愛、家族としての動物への愛。 どうして、こうも私たちは「愛」について考えて、求め続けるのでしょうか。 す…

社会性問題への取り組み

現代社会は、人間が「個人」として切り出されている時代だ。 種としてのヒトは、集団をなして生存をするという意味で、本能的に「社会性」が埋め込まれている。 したがって、人間という呼び名も、人と人の間の関わりとしての存在を示しているが、同時に「個…

他者の心の扱い方

他者の心を観るときに、そこに自我性を観ると、こちらも自我性を強めるということを書いた。 だから、観察のありようが、重要だと思う。 自我とは、本当は点として位置はあるが、面積としての実体はないものを、これが私だというふうに領有化をすすめて、固…

他者の自我性を観ない

自分が世界を分割して、他者と自分という区分をつくり、自分の領有化、城壁化によって、対立、不平不満、争い、逃避、引きこもりなどが起きるのだと書いた。 つまり、自ら「自我」を強めたという自覚がしにくく、他者の自我・領有化の世界を強く意識するとこ…

分断・領有化の世界の相克

自分を正当化して、他者を批判して、自分が被害者であると考えているときには、主体性が低下して、自我の防衛状態になっている。 この自我は、このような状態をさらに正当化したいので、対話の動機は自分を開くことではなくて、自分を固くして、正当化するこ…

カウンセリングを超える面談法

ライフストレス相談としての面談法が、従来のカウンセリングの限界を超える可能性があるかどうかを検討しているところだ。 従来のカウンセリングの限界だと私が思っているのは次のような問題だ。 主体性の項目について考察すると、面談のなかで、関心、観察…

「言い聞かせ」と主体性の発揮の違い

主体性の発揮ということを言うと、自分に対して、もっと自信を持てとか、意味があるとか、相手を信頼しようとか、希望があると「言い聞かせること」と混同する人が多い。 また、うつ状態などの人に医師が、症状を生み出している特定の癖になっている「言葉の…

泉のように湧き出る心

自分の中から充実した心が湧いてこないということは、本来、湧き水によってできていた「井戸」が空っぽになっているような状態だ。 すると、外から雨水や泥水が入りこんでくるようになる。そして、いくらそれをせき止めようとしても、次々に別のものが入って…

豊かな心を生み出す

どうしたら自分の中から豊かな美しい充実した心が湧き出してくるのですか。 この問いに対して、いくら頭で考えてもどうしようもない。 自然に湧き出してくるかどうかは、感性の問題、感覚の問題でもあり、理論ではないからだ。 しかし、なぜ、湧き出ないかと…

自分の「資源化」

自分の心身や所有するもの、能力、資格、社会的評価など、私たちは、生きるすべを「資源」を獲得することだと思わされている。 しかし、本当はそれを活用して、主体性を発揮してどのように生きるかが重要なのだが、その訓練はおざなりで、資源を得ること、失…

領有化と主体性

「関心、観察、理解」「呼吸、感覚、食事」という取り込みプロセス。 「自信、自主、意味」「筋肉、運動、睡眠」という安定化プロセス。 「信頼、貢献、希望」「行動、言葉、資源」という働きかけプロセス。 これらの主体性の項目をみると、そこには所有とか…

心理学的人間観とカウンセリング

本来は点として面積はなく、位置を示している中心が自分であると書いた。 しかし、この「世界」を構成し生み出しているのが自分であるのだから、この世界のなかには、これが自分だというものはない。 しかし社会生活の要請上、原始生活では私有財産という考…

心のある道

自我と主体性の関係についてはすでに書いた。 自我の本質は自己中心性にあるのではない。 それが全体と重心の関係ではなくて、しかも、特定の点は位置を示すだけで面積がないはずなのに、「これが自分だ」というものを取り込んで広げて実体化して固定化する…

主体性の発揮と「世界」

私が記事で書いているようなことは、人間学としてさほど新しいものではなくて、古くから言われてきたことに過ぎない。 しかし現代において、それが忘れられて、主体性を伸ばしていく訓練がおざなりになっているから強調しているだけだ。 飛べない鳥というた…

世界を美しくする

私たちは大人になると、子どもの頃の自分の「世界」を忘れてしまう。 大人からみると本当に狭い世界である。 登場人物も家族や親戚、近所の人、学校での先生や生徒仲間、バスにも乗れないときには、世界は行ったことがある場所が点のように散らばっていて方…

創造 愛 自己統合

自分という実体を定めて、それを守るという生き方から、「中心」としての生き方へとシフトすることが大切だと書いてきた。 自分とは主体性のことだと知ると本当の意味での「自由」に価値があることにもきづく。 出来事や対象者に向き合って、ワンパターンの…

自分を生み出す

不可知の世界である精神の故郷にある自分は全体とつながっている「分霊」であると書いてきた。 不可知という意味は、対象をとらえようとする見方では把握できないという意味である。 どこにあるかと探しても、どこにもない。 でも、この探している対象となる…

自己中心性

やっと、このところ迷っていた問題の根っこにたどり着いた。 自分が、すべての「世界」だと思っていたのは、自分が構成した「願望世界」であって、しかも、その背後には不可知の世界があり、むしろ、自分の精神の故郷はそこにあるのだと書いてきた。 この考…

具体的実践項目

現在、坂道と車輪で説明している主体性の項目について、相互の関係性や、実践項目の絞りこみが必要だと考えている。 たとえば、呼吸、筋肉、感覚は、「緊張」⇔「弛緩」を写し取っているもので、それぞれが深く関係しており、実践上も一緒に扱えることが望ま…

主体性の本質

健康であるとか、社会に適応して、成功しているとか、そのような現象と「主体性」は別の視点だと思う。 かりに、失敗し、不適応を起こして、病気であっても「主体性」を失わないことは可能だ。 臨床心理学でも「主体性」の回復を面談の目的にするという意見…

主体性への集約

この世界がシュミレーション世界であって、その背後の不可知に世界に精神の故郷があるとか、自分という存在がどのようなものであるかとか、存在論的な問いを発してきていた。 そして、そのような議論がこの時代、書籍やネット世界でも多くかわされていること…

自分の広がり

自分とは何かという前提の違いが、社会の仕組み、世界のありよう、生き方、そして、小さくいうと、カウンセリングの在り方にもかかわっている。 人間とはなにものか、自分とは何ものか、それがそのまま、生き方や世界として表現されている。 だから、生き方…