ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

分霊の世界

適当な言葉がないので「分霊」という宗教色のある言葉をつかっているが、自分が体験している世界は自分独自のもので、その意味では、自分が世界を構成し創造しているともいえる。

その創造者としてのニュアンスをこめた言葉が欲しいのだ。

しかも、それぞれの世界の背後には、不可知の世界があって、そこは存在の根源、大きな自然、大きな物語、精神の故郷でもある。

私が分霊として、自分が暮らしている世界を創造しているといっても、それは「構成」を自分がしているだけで、本当の創造者であるわけではない。

その意味では、不可知の世界には、この自然界を生み出し、生命を生み出し、民族、社会、国家を生み出し、人間の精神的な成長をもたらしてきた働きがある。進化を生み出してきた力がある。

これらの力に対して、分霊としての自分が働きかけ、導かれ、包まれ、動いているということなのだろうが、自我にとらわれて、それを忘れて、世界内の個人としての自分の保存、発展に執着するところから、背後の様々な力の導きからずれていく。

聖賢のおしえも、世界内の操作的なものではなくて、世界の背後にある、分霊としての自分が、より大きな創造者たちとどのようにかかわるかという「精神的な世界」でのガイダンス、つまり、三次元シュミレーション時空の内部の行動原理ではなくて、その背後に住まうものとしての活動原理であったと思う。

その混同が、聖賢の教えを自我まみれにしてしまって、薬としての力を奪ったのだと思う。