自己覚醒の手順
相手の感情的な態度に対して、こちらも感情が動いて、不快になったり、不安がわいたり、防衛的になったりする。
そのときに、思い出すのは、その相手の姿は、自分が構成して生み出したものであるということだ。
自分の世界は、生命、生活、人生の創造にむけてのシュミレーション時空であるので、そこには求めるものを判別するためにバイアスがかけてある。
これを私は「願望世界」と呼んでいる。相手の言動が自我の塊で、自己中心的であって、自分のことなど配慮してくれないように見えるのは、自分の願望を傷つけているからだ。
逆に、好ましく、自分に親切で、やさしい態度に見えるのは、それが自分が求めているものと合致しているというサインに過ぎない。
もし、このような不安定さから抜け出して、地に足をつけて暮らしたいのであれば、自分の願望で見ていることに気づき、反省して、より現実的な見方へと修正していくことだ。
このときの、自分の観察の立ち位置は、世界をまるごと見つめているのだから、世界の背後にある。
世界の内部のどこかにあるわけではない。
相手の意見と、自分の意見を対立的に比較して把握している時点で、自分は世界内の自我として成立していることを忘れてはいけない。
対立のあるとき、反発のあるとき、傷ついたとき、上記のことを思い出そう。
願望に踊らされて、背後の精神的世界の分霊としてふるまうことをおこたったから、この苦しみがあるのだと認めよう。
苦しみが累積しているのは、このような裏切りの積み重ねの結果であると知ろう。
そして、もう一度、この世界の内部にダイビングして、主体的に生きていくことを追求しよう。
この入ったり、出たりの往復運動が目覚めにつながる取り組みである。