ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

主体性への集約

この世界がシュミレーション世界であって、その背後の不可知に世界に精神の故郷があるとか、自分という存在がどのようなものであるかとか、存在論的な問いを発してきていた。

そして、そのような議論がこの時代、書籍やネット世界でも多くかわされていることを私は承知している。

これは悪くすると「神学論争」のようなもので、本当に大切なことは、そこから日々の自分の生き方にどのように落とし込むかであるが、そのようなちに足のついた取り組みをなくして、「空中戦」が繰り広げられている。

結局のところ、日々に落とし込むときには「主体性」の段階や質や力として表現されるものだと考えている。

主体性が高まったものが人間だとすれば、それを失った者は幽霊のようなものだから。

言葉をかえれば、何かに誘因されて自分を見失った亡者であるから。

そして、なぜ、主体性を投げ出して、自分以外のものによりかかり、亡者になるかというと、自分を保存したい、壊されたくないという「恐怖」である。

この恐怖は自我とセットであり、この願望世界、シュミレーション世界を生みだした力でもある。

あるいは、不可知の世界を締め出して見えなくした力でもある。

主体性の発露は、そのような背景を別にしていて「生きる」という意味と同じであるから、これらすべての考察は、主体性の発揮の仕方として日常で実現されるものだ。

それを「レッスン」という言葉で表現してきた。

シュミレーション世界だけが実在で不可知の世界を無視した「主体性」と、不可知の世界とシュミレーション世界のバランスを意識した「主体性」の違いを表現していけばよい。