ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

領有化と主体性

「関心、観察、理解」「呼吸、感覚、食事」という取り込みプロセス。

「自信、自主、意味」「筋肉、運動、睡眠」という安定化プロセス。

「信頼、貢献、希望」「行動、言葉、資源」という働きかけプロセス。

これらの主体性の項目をみると、そこには所有とか、領有化というものはなくて、ただ、生きるという流れのなかで、どのような歩みをするかという選択があるだけだ。

しかし、あえていえば、生きるうえで活用する資源として、身体、家、車、財産、資格、特殊な能力、知力、体力などがあるのだろうが、大切なことはそれを活用して生きることであって、それを他者に負けないように所有することではないはずだ。

しかし、社会が自我の領有化を後押しして、経済の仕組み、制度、法律で、個人が生み出すもの、所有するものを守り、共有化という考えを排除していった以上、上記のような人間学的視点は、社会のなかでは不似合いなものになっているだろう。

しかし、主体性の世界からみれば、「資源」を所有しないと活動できないとなれば、その争奪戦へとゆがんでいき、ある意味、ほかの主体性の項目については、「動かせないもの」として、いや、「それが自分だからと動かさない」ようになったのではないか。

資源獲得に奔走して、それを「自分」だと考えて、それを求める欲求を自分の心だと考えてしまったとしたら、主体性を働かせなくなるのも当然だろう。