自分の「資源化」
自分の心身や所有するもの、能力、資格、社会的評価など、私たちは、生きるすべを「資源」を獲得することだと思わされている。
しかし、本当はそれを活用して、主体性を発揮してどのように生きるかが重要なのだが、その訓練はおざなりで、資源を得ること、失うこと、他者と比較することが、人生の主要なテーマになっている。
この資源の領有化が「自我」の働きであり、それらを活用すべきものとはみずに、「自分自身」だと定義してくるのだ。
ここにおいて、この定義された自分は物質的、社会関係的なものだけでなく、精神的な力、知力、感性、意志力、共感力など、心の世界でもまた、「資源」となりそうなものを発見して、それを得て、それが自分だと考えるようになっている。
だから、自分を振り返るとは、物質的な世界での力、社会関係の中での力、精神的な力というもので、それを活用する主体的な心というものは埋没して、それらの諸力が「自分」だという。
だから、失敗とは、主体性の世界では意味あるもので、さらに主体性を発揮して、資源を増やしていくものだが、諸力が自分だという世界では、自分が削られたような感覚になる。
このような自分の資源化は、さらなる防衛的な生き方を生んでいく。
これをどうしていくか。