豊かな心を生み出す
どうしたら自分の中から豊かな美しい充実した心が湧き出してくるのですか。
この問いに対して、いくら頭で考えてもどうしようもない。
自然に湧き出してくるかどうかは、感性の問題、感覚の問題でもあり、理論ではないからだ。
しかし、なぜ、湧き出ないかということの説明は可能である。
それは自分自身を自我がもくろんだ資源の拡大化の結果としての領域であるとするならば、自分の心もまた、一つの資源としての力に過ぎないことになる。
この願望世界にあって、自分とは願望をかなえるための諸力・資源の塊だとされる。
そうしたなかで、どうして、豊かな、充実した、美しい感性が湧いてくるだろうか。
日々は、願望の焼き直しとして、同じことの繰り返しであり、自分の反応もまた、ワンパターン。
心の自由のないところに、どうやって、豊かな価値ある心が湧きだしてくるのだろうか。
主体性の訓練のなかで、次第に湧き出してくるものだと思う。
関心、観察、理解、自信、自主、意味、信頼、貢献、希望
呼吸、感覚、食事、筋肉、運動、睡眠、行動、言葉、資源
それらに丁寧に、真剣に、大切なものとして取り組んでいくこと。
そこから湧き出してくるものが本物である。
充実感といったものを味わうだろう。
よく「愛」を生み出せばよいと言われてきたが、もし、それが願望世界において、自分の領域化として「相手」にかかわっていくのだとしたら、それは愛ではなくて、所有欲である。
愛とは、主体性そのものをもって、相手とかかわることである。
創造も、愛も、自己統合も、主体性の進展によって表現されるもので、それが幸福の別名である。
一番の注意点は、「資源の獲得と保全」を目指していきるのか、それを使いこなす「主体性」を伸ばしていくかの違いだと思う。
どうしたら、充実した心が湧いてきますかという問いに対しては、主体性を訓練することですと答えたい。