ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

反省しきり

反省しきり。

ライフ創造のマトリックスをつくっていろいろと検討してきたが、矛盾が多い表であることに気づく。

私も現代人の思考のなかにあって、飛躍が難しいのだから、どうしても「自分というパーソナリティ」「心」「信念」「価値観」・・というふうに「ライフ創造」という立場からはなれていく。

もちろん、それらの道具立てをつかってもよいのだろうが、それでは見えなくなるものがあるので、あえて、ライフとは出来事であって、それは生命、生活、人生の姿を見せてくれるものだと考える。

自分も、心も、パーソナリティも、ライフの一部として溶け込ませている。

ここでは、出来事に向き合って、刻刻の選択をする「主体性」という機能だけに注目している。

だから、シンプルな図式では、「主体性」、「出来事」の二つとなる。

主体性の機能とは、自分で把握できていて、動かせるもの、管理下にあるもの。(身体的な側面、精神的な側面)

呼吸、五感、食事 ⇒

筋肉、運動、睡眠・休息 ⇒

言葉、行動、資源活用

関心、観察、理解 ⇒

自信、自主、受容 ⇒

信頼、貢献、希望

では、たとえば、出来事の際して、他者に対して不信感が湧いて、文句をいう選択をするときに、主体性はどうなっているのか。

それは、「受容」「信頼」「貢献」の主体性の低下、筋緊張のコントロールの低下、言葉、行動の主体性の低下。

結局のところ、すべての主体性が連動して低下している。

それによって、本能的な反応に飲み込まれている姿。

あるいは、ワンパターンの癖になっている行動パターン。

それは、生命、生活、人生の各階層で、主体性の低下によるゆがみがうまれている。

主体性の低下は、生得的、固定的な選択パターンに私たちを追い込むことで、出来事とのミスマッチを増大させる。

マトリックスの「自己視点」「他者視点」にしても、その偏りを防ぐのが主体性であるので、その低下がアンバランスになるし、

「操作系」「受動系」にしても、主体性の低下によって、効果のない操作系を追求して不安になる。生活を重視して、生命、人生を軽視している選択に陥っているというふうにも考えてよいと思う。

つまり、これらの項目はマトリックスに入れるべきものではなくて、主体性の低下によって現れるライフの歪みの説明に過ぎないように思う。

それでは、パーソナリティにトラブルを抱えておられる方の早期形成不適応的な信念とは、ここではどういう意味になるか。

目の前の出来事に対して、固定された選択をして不都合が生まれているのに、それを繰りかえすという問題になる。

ポジティブ心理学でいう24の徳性はどうか。それは出来事に際してよい結果を生み出す選択を主体性に継続できているという姿である。

この違いは、選択の妥当性の問題だと思う。

出来事×選択=主体性の機能=身体・精神=ライフ=生命・生活・人生=自己視点・他者視点=操作系・受動系・・・

というふうに、出来事しかないはずが、このように姿を変えてみせるということだ。さらに違った姿を発見できるだろう。

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おそらく、ここで本当に整理しないといけないのは、主体性の低下と回復という考え方だと思う。

コントロール感をなくすことは、良い悪い、損得ではなくて、ライフ創造に大きく関係するということだ。

人間にゆるされている生き方は、変えられるものを変えて、変えられないものを受け入れて、その区別をつける知恵があることだ。

主体性とは、このことであって、人間に自己保存の傾向、防衛傾向があって、トラブルや緊張場面では、自己と他者がむき出しになって闘争・逃走の関係になったり、集団的防衛のために同調による安心を求めることは、変えられないことだ。

ただ、それが不適切な場面で頻出することを防ぎ、異なった選択をする自由、主体性が私たちにはある。

それがライフ創造である。

主体性を働かせて、受容、信頼、貢献、希望の力を取り戻す、そのためには、関心、観察、理解が必要で、さらには、自信と自主の力を取り戻さないといけない。

主体性をなくしたときに、ライフはどうなるか。生命、生活、人生はどうなるのか。

以上のことから、今後、必要な整理は、主体性をなくしたときに、私たちが引き寄せられてしまう固定化された方向性、閉ざされた方向性と、主体性を働かせたときの開かれたライフの可能性について具体化することだ。

ネガティブとポジティブではなくて、

固定、不調和・・

柔軟、調和、成長・・・

ここにおいて、自己・他者、操作・受動の切り口は不必要になるだろう。