ライフ創造と主体性(選択)
私たちにはライフという出来事があるだけだ。
このライフはそれぞれが創造しているもので、AさんとBさんのライフは異なる。
そこで、これまで、ライフは「主体性」という機能によって構成・創造されている全体であると考えてきた。
このライフは実に様々な姿をみせてくれる。
ライフは出来事なのだが、存在、実在というふうに扱うとすれば、「物質・身体」「精神」という二元論で説明するものに見えたり、空と呼ばれるような関係性(相互依存性)として説明されたり、ときには霊魂の世界が実在で、物質が仮初であるとか・・
逆に、すべては物質であり、脳が見せている幻が心であるとか。
私は、実践的な人間学のために、このような実在論に与することなく、すべて「出来事」だということからスタートした。
刻刻の、場面場面の選択によって、出来事が起きているということに徹底した。
それゆえに、ライフのなかで、自分で操作できるもの、選択できるもの、その機能を列挙した。
関心、観察、理解、自信、自主、受容、信頼、貢献、希望
呼吸、感覚、食事、筋肉、運動、睡眠、言葉、行動、資源
出来事に際して、主体性をもって選択をすることで、動かせない部分が自然に働いて、次の出来事が生まれていく。
このようなモデルで説明したきたところだ。
そして、心理的な予測という概念とは異なるものの、私たちはこの選択において、物や人がどのように動くかという前提を選択している。
予想は、選択する前のシュミレーションだが、選択するときには、それは前提として選んだものとなる。
私たちが主体性をもった選択をするとは、その前提もまた、選択しているということだ。
俗に信念、価値観と言われるものも、この選択に関する前提を「選んで」いるということだ。
そして、人間関係においては、相手の主体的選択をどのように前提するかということを選んで、自分の主体的選択をしている。
これは、心理ではなくて、選択にも深さと広さがあるということだ。
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従来、これを心理的なものとして説明していたが、出来事本位で考えると、相手の選択という前提をどのように選択するか・・
予想という概念ではなくて、「前提」の選択・・・・・・・・
こうなると、主体的決定の本体と、その前提があることになる。