ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

主体性の拡大

ライフストレス研究で見出してきた「主体性モード」にも段階がある。

主観・自由意志、客観・因果律でいうと、本来人間は主観的生物であるが、その主観を圧縮して、他者と共有する客観部分を仮想でつくっていく。

その意味では、主観、客観という二分法ではなくて、本来は全部主観であるものを、主観を縮小して客観を創造しているという比率の問題になってくる。

�@ たとえば、主観・自由意志を縮小して最小までもっていくと、「脳科学的人間観」になる。

物質世界のなかに身体があって、身体の中に脳がある。これらは物質的な科学法則によって動いている。

ここにおいて、主観・自由意志は実はない。外界との情報のやりとりで、脳の神経ネットワーク・脳内ホルモン(神経伝達物質)によって次の行動選択がなされているが、それは無自覚にすすんでいる。

脳は、その過程を分かりやすく整理・加工して「意識化」している。つまり「主観・自由意志」はあると脳から思わされているだけだという説。

うつ病、不安神経症認知症などに向き合うときに「主観・自由意志」の問題とは別の脳科学的アプローチをすすめるうえで有効である。

また、ストレス被害が脳疲労という形で蓄積し、脳幹の機能低下を起こしている場合が多い。その場合には「主観的」アプローチ以外の身体操作的なもの、生理学的リラクセーションなどが有効である。

主観・自由意志もまた、身体や脳のコンディションと関係がある。

�A 主観・自由意志をもう少し拡大すると、身体と並行する形で「心」があって、心を働かせると同時に身体も動く。

しかし、このように随意的に動かせるのは一部である。身体は、ほとんど、自律機能として無自覚に動いている。

自分も、他人も、このように主観・自由意志をもって、動いている。

この場合、他者の行動の背後の心を予測して自分の行動の参考にしている。

また、他者から自分の行動の背後に心があると予想されているが、それらを取り込んで内省して自分の心だとしている。心とは行動から観察された仮説でもある。

�@が脳科学的人間観だとすると、�Aは「個人心理的人間観」である。

ただし、心理学のなかにも無自覚な心の部分について「無意識」「潜在意識」「深層意識」として扱おうとする考え方もあるが、それは表面にでている「心」を扱うための仮説である。

また、人間は集団において意識状態が変化するが、集団心理的なアプローチもあるが、結局、個人の心理がどのように変わるのかと思考するので、この�Aの範疇になる。

�B 主観・自由意志をさらに拡大すると、「個別世界的人間観」になり、自分とは異なった他者の世界をふまえて、他者の心を「共感」することになる。

�Aの場合は背景となる客観的物質的世界は他者と共有しており、さらには価値観、信念、知識、文化・・などある程度通じあうという前提がある。

それゆえに、自分から相手の言動を観察して相手の心を推測していた。

しかし、�Bの「個別世界的人間観」では、自分も他者も主観性・自由意志を拡大して、世界を自分なりに見ている。

神経質な行動をとる人は�Aの個人心理的世界観では、その人の性格が神経質なのだと見る。行動パターンの癖。

しかし、個別世界的人間観では、その人が見ている世界が、失敗の許されない、危険が多い世界に見えているから、注意深い言動をとっていることになる。世界把握の癖。

個別世界的人間観では、複雑な社会生活をスケジュールどおりに営むには不便である。�Aのようにレッテルをはって心を予測していかないと瞬時に行動が決められない。

しかし、他者とのすれ違いによる感情的軋轢の解決、深い人間関係の構築には�B「個別世界的人間観」が有効である。

さらには、自分が見ている世界が自分が主体性をもって行動選択したうえで創造されているとすると、それを変えていくことが可能になってくる。

つまり、客観的世界だと思って変えられないと信じていた部分もまた自分の世界に限っては変容可能なものになってくる。(もちろん、それでも変えられないものは多いが・・)

�C さらに主体性・自由意志を広げていくと「主体的人間観」になってくる。

�Bでは、自分の世界は自分で選んでつくっていたが、同様に他者も他者自身が選んでつくっていた世界であった。

それを共感していく営みにも相互融和、和解、深い人間関係の構築などの利点はあるが、所詮、本当の意味では相手の世界は分からないし、「変えられない」という前提であった。

その意味では、�Bの個別世界的人間観は、�Aの個人心理的人間観の補足的なものであって、他者は他者なりの世界をつくって動いていて、物質世界もまた相応の法則で動いていて、動かせるのはそれをどのようにとらえるかという自分の受け止め方であるという程度の主観性・主体性であった。

しかし、�Cの主体的人間観では、物質世界が直線的時間の流れと三次元空間をもっていることをはじめとして、他者の行動の背後にどのような心があるか、そして、自分がどのように思って行動するかもすべて自分の選択であると考える。

すべてが「信念」で出きていることを自覚して、それを刻々の行動・認知で、選択し続けていると考えている。

また、自分が他者を愛している、この仕事をやりとげたいということは、社会システムのなかでのシュミレーションの結果ではなくて、最終的には自分の意思決定だと考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして

�@脳科学的人間観

�A個人心理的人間観(集団心理的人間観を含む)

�B個別世界的人間観

�C主体的人間観

これらは、一長一短の特徴があるが、テーマとしては、それがふさわしいときに使い、ふさわしくないときには使わないという訓練である。

メンタルヘルスコンサルタントとは、この使い分けのアドバイスができることだと思っている。