ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

8つの人間観の問題点

悩みも救いも、思い込みも気づきも「人間観(世界観)」の切り替えの中で起きている。

いまだ、試作的なものだが訂正を重ねている。

�@情報処理的人間観

�A生理的人間観

�B脳科学的人間観

�C心理分析的人間観

�D個人心理的人間観

�E集団システム的人間観

�F個別世界的人間観

�G主体的人間観

エピソード的に問題意識を並べておくと・・

�@情報処理的人間観では、心が情報と同じように扱われているために身体や自然との断裂、「死」のリアリティの喪失(概念化)、自分のアイデンティティが社会との関係性から切り離されて内面化、他者の存在も情報化。

�A生理的人間観では、不調の原因の発見と対処というモデルから「ホメオスタシス重視のモデル」への移行と、心身相関的な視点の導入が必要。「心理社会的ストレッサー」として扱われている内容が薄すぎる。不快、不満、刺激を減らせばよいと誤解されやすい。

�B �@の情報処理的人間観は情報処理の結果として出来事が発生していくし、�Aの生理的人間観では身体の働きによって出来事が動いていくし、この脳科学的人間観は、さらに脳神経ネットワーク・神経伝達物質のシステムで行動が決まり出来事が動いていく。つまり、�@�A�Bは人間の自由意思や主体性を低く見ている。決定論的、運命的な色合いが強い。

�C心理分析的人間観は、次の�Dの日常意識としての「心」では、様々な心的病理や不合理な行動が説明できないために、仮説的に「心」を分解して部分にわけて説明する。

ここでは、無自覚の心まで想定してモデルをつくっている。無意識という言葉が示しているようにそれはもはや「意識」ではないのかもしれないが、行動や出来事をうまく説明することが可能になる。

�@�A�Bが情報処理的、物理・化学的側面から「主体性」を低くみたように、自覚できない仮説的な心の部分による運動として説明されたために「主体性」が低くみられる。

以上の理論は注意しないと、人間が「自分が問題を起こす原因を他に求める」ようになり「変わることのできない理由」とされ、主体性を低下させていくことにもつながる。

精神的なトラブルや病気の治療のために使われるのは別にして日常生活で活用するには気を付ける必要がある。

�D日常的に生活しているときの意識が「個人心理的人間観」であり、自分は「身体とそれに並行して働いている心」だとされる。そして他者もまた「身体と並行して働いている心」だとされる。出来事が自分と他者、自分とほかの何かとの関係性で出現している。一定の主体性が想定されている。

この素朴な人間観をもとに「存在」「精神」「人間」などを探求していくと矛盾が噴出する。それでほかの人間観に移っていくことになり、それが悩みを生み出してしまう。

人間が矛盾の中で折り合いをつけて生きるための人間観であり、普通の人間の健康や幸福はここにある。

仮の宿のようなもので、これを壊しても真理など出てこないし、暮らせなくなる。

問題意識としては、調和的な人間関係を崩す「心」の読み違いが起きていること。

共有部分とされている物理世界はまだしも、文化、価値観、知識などの偏りでトラブルが生じている。

これ以降の人間観の活用によって解決する必要がある。

�E集団システム的人間観では、成育歴での心のトラブルや家族病理的な出来事をうまく説明することができるが、その一方で、個人が自分の意思ではなくて、集団的なシステムのなかで問題を起こしているというふうに考えられ主体性の低下が起きやすい。

�@�A�B�Cが内的な因果論による主体性の低下だとすると、この�Eは外的な因果論まで展開した主体性の低下である。

病理の解決の場合はともかく、日常的には問題が起きやすい。(ある種の決めつけによって変容を阻害しているかもしれない)

�Fすべては自分が見ている世界だとすると、他者の世界は見えないことになる。

平行宇宙的に自分には分からないが他者にはわかる。ここでは自分の世界内だけ主体性が働くが、その歪みを知るには他者の言動に不愉快になったり、不都合な出来事にであう必要がある。

それではじめて自分の世界の特徴にきづく。この世界を�Dの個人心理的人間観と誤認して暮らしていると悩みが広がっていく。

自分が人を信用していない世界をつくっているのだが、相手の言動から「心」を読んでいると思い込む。

逆に�Dの個人心理的人間観での問題が自分の信念である場合には、この個別世界的人間観での対処が有効になる。

�G以上の�@〜�Fをどれが正しいかと考えるのではなくて、目の前の出来事に対処するために、どれを活用すればよいのか、さらには、それぞれの人間観のなかで出来うる限りの修正をしていくという自由意志を強調したのが「主体的人間観」である。すべては自分が選んでいる、決めているということ。

この8つの人間観を行き来して、生活していくことで、出来事にうまく対処できるようになる。

ここでは「主体性」の増減、自分のとらえ方、他者のとらえ方と出会い、不可知の世界の扱いなどを見据えている。

以上、まだ未整理だがメモとして残しておく。

当面は、集団システム的人間観の研究をすすめていく予定である。