ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

無償の愛と家族の結びつき

無償の愛と「家族」の結びつき

かつて家族は生きるためのシステムであって、そこではメンバーが一致協力して自分にできることで貢献しながら生産活動に従事してきた。

そこでの愛とは自己本位にならずに家族のために貢献することであって、それで全員が生存できたのだから、相互扶助的であり、お互いが利益を享受できているので、「無償」という観念は必要ない。

もちろん、親は子に愛を注ぐが、結果として、成長のあかつきには、家族のメンバーとして貢献することが期待されており、その意味でも客観的には無償ではない。

しかし、これを心情的に見ると、無償の愛に対する親孝行、恩返しとして感情の交流として描いたのが、かつての時代に共有された文化であり情報である。

現代では家族の機能は解体されて外部化されており、生産も消費も教育も社会の中に行われる。産業化、社会化によって、家族から生産の協力という要素や家の文化を教育するという要素が抜き取られていった。

社会はすでに市場経済、法規制、情報化によって構造化されているのに、家族はそのなかで別世界として残っている。

家族間では金銭取引や契約という要素は少なく、オープンな情報化ではなくて家族だけに通じる情報・文化がある。

生きるためのシステムとしての家族の大部分の要素は、社会の中に移されて、残ったのは「育児」「介護」であったが、それも社会のなかに移されていく傾向にある。

そして、最後に残ったのは「感情交流」だけになる。生きるためのシステムに潤いをあたえ動機付けをしてきた夫婦愛、親の無償の愛、子どもの親への信頼と感謝、親孝行などが、本体のメカニズムを失っても「残滓」として大切にされている。

厳しい生存状況のなかでの親の苦労を子どもが見ていたときの「親の恩」「感謝」「親孝行」には、生存システムとしての実体、リアリティがあった。

もちろん、現代の親も子育てに苦労をしているのは事実であるが、その苦労には、生存のためというよりも、かつてのような社会共有の子育てや家庭のモデルをなくしてしまって、試行錯誤をしながら、夫婦関係を築き、子育てをしていく不安や迷い、自信のなさが潜んでいる。

しかも実体のない「気持ち」「感情」「愛」をテーマにして取り組んでいくことの難しさ。

「無償の愛」とは、このような「感情交流」を主たる役割とするような家族イメージの中から生まれたのではないか。

だから、子どもとの関わり、思い出、感情交流こそが家族の主目的であるかに、多忙ななかでイベント参加を続けていく。

人間は不完全な存在であり、感情は揺らいでいくものだ。それが「愛」にむかって家族を形成したいというのなら、「意志」の力、主体性に基づき自ら「信頼」「貢献」の心を育てるしかない。主体性を高めてはじめて「自我」を超えることが可能になる。

しかし、現実には感情と感情がむき出しで、からまってぶつかって家族という混沌を生み出している。無償の愛とは程遠い現実がそこにはある。

仮に利他的なものであっても、感情は生得的な反応にすぎず、相手の感情によって違ったものに変質することを知らないといけない。

無償の愛は、感情ではなくて、信念が生み出すものだが、親であれば湧いてくるとか、本当に相手が好きであれば感情として自然に湧いてくるものだというイメージがどれだけ現代人を苦しめているか。