ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

閉塞感の正体

ここ数年考察してきたのは、自分の中に巣くっている「閉塞感」の正体だ。

感覚として分かってきたことは、様々な意見や知識を詰め込んでいっても、その飽和は、むしろ息苦しさを生み出すだけで、閉塞感の開放にはならないということ。

とりわけ、SNSなどで流れている情報を取り入れるとその傾向が強まるし、様々なハウツー本を読んでも逆効果であるようだ。

この閉塞感は、自分の人生、生活、そして、仕事、家庭など全般に及んでいるために、ひとつひとつ問題を掘り起こして、解決法を見つけるようなものではなくて、どうも、基盤や土俵といった部分に課題があると感じるようになった。(自覚的には「うつ気分」のようにもおもえるが、これは創造的な苦だと捉えている)

かつて、30歳代後半に同様の閉塞感が襲ってきたときには、「職業」のせいだと考えて、組織の圧力から離れて個人として仕事をすることにしてみた。(あるいは、生命・身体に注目して打開しようとしていた。思考の限界には気づいていたのだろう)

仕事を失敗してはいけないという危機感と相まって、自分で考えて動くことは、やる気につながったし、目の前の相談者の方に役立っている、役立とうとする、やりがいもまた、新鮮な空気となっていたようだ。

それから、様々な体験を重ねて、学びを深めていったのだが、それは専門を固める、科学的に思考する、自分なりに型をつくって、再現していくということになり、新しいものへの探求という活力が減っていった。(明晰の罠・・知ることによって捉われる)

たとえば、大学院への進学は、そこに何があるかを知りたかったのだが、自分が望んだような世界ではなかったと知ると、多忙な中で、挫折して、中退に至ってしまう。(学術的な意味での進展を求めてはいなかった。学問が閉塞感を打開するかを知りたかったが、そこでは、答えが見つからなかった)

学問のはてに希望を見出し得ず、現場の中でも、困難を抱えていくなかで、やはり、閉塞感が次第に強まってきた。何か新しいことをして、自分の気力を延命するような取り組みがつづく。

数年前から、仕事のトラブルも相まって、焼き直しの日々が辛くなり、真っ白な雪野原のような、足跡のついていない朝を迎えたいと思うようになった。飽き飽きとした気分に襲われていた。

では、その新しさとは何かとばかりに、仕事の新しい展開を考えるのだが、どれもこれもが、陳腐化のなかにあって、もはや、仕事の新しさをつくっても、閉塞感は晴れないような気持ちになってきた。

(どうも、成功を合理的に求めてはいない自分にも気づき、あきれてもいた。そもそも、経済的には安定していた、公務員をやめて、個人事業を始めたところから、経済的成功が動機ではなかった。あやしい、動機の起業であり、一種の疑似的求道であったのだろう)

そして、とうとう、本当の閉塞感の理由に向き合わないといけなくなった。

この閉塞感は、ストレスで被害を受けている人たちもまた、敏感に察知しているものであって、ただ、健康を回復して、人間関係がうまくいって、生活が流れていけば消えるようなものではないと分かってきた。

生き辛さと表現されることもある、この問題に自分が無力であることが、この仕事、相談者の方に向き合う勇気を奪っていった。

(幼児期の不適切な信念であるという仮説もあるが、私が求めたのは、そのような心理療法的な解決ではなくて、もっと人間存在に即した解決である)

自分の苦しさの中で、ますます、答えを求めるようになっていった。

それで分かったことは、思考と概念創造が異なること。

つまり、考えることと、信じることの違いが情報社会の中で分かりにくくなって、多量の情報が流れてはいるが、信じるという世界でいえば、それは無味乾燥な、価値のないものばかりが広がって、心の栄養不足になっていることに気づいた。

だから、自分の中に、豊かな価値観、概念を創造して、LIFE自体を自由に動かしていくこと、主体性とは、それくらい、大きなものであると気づいてきた。

しかも、これまで、分析したり、評価してきた、自分というものも、自分や他者が考えている以上のものであって、実在に根を張っていることもわかってきた。

そうなると、これまでの自分は、知らず知らずに、自分で作った仮初めの世界の中に、自分と言うものをおいて、その中であれこれ動いていたのだから、どこにもたどり着かないのは当たり前であったということに思い至った。

このような知識は、以前からあったはずだが、どうしても、この世界が仮初にできたものであって、その背後に実在があるとは感じれなかった。

しかも、自分の世界と他者の世界が別物であることは理解していたので、その分断をどうしたらよいかもわかっていなかった。

ところが、仮初めの世界としては、自分の世界と、他者の世界は別物であるが、その背後の実在の世界ではそうではないだろうと想定することで、これまたつながりを感じるようになってきた。

仮に、本来不可知であるはずの実在の世界について、どうだ、こうだという概念を発明したとしたら、それは自分の世界のものになってしまうが、それでも、閉塞感はやぶれ自由度を増していくだろう。

ところが、このように、世界の空間的、質的な考察から、新しい概念を育てていこうとしても、すぐに従前の心境に戻ってしまう。

それが、何かを考えてみたら、それは時間感覚であると気づいた。

絶対的な空間と思い込んでいたのが、人間としての自分の空間であって、その背後の実在の世界の単なる反映にすぎないのなら、絶対的な時間だと思いこんでいたものも、人間としての自分の世界のものであって、それを他者のものと社会的に「同期」させていただけだということになる。

つまり、自分と相手の距離や、自分と相手の時間を想定していく思考自体が、私の概念創造や世界の作り方を固定していることにきづく。

空間と時間を解き放ち、ここも、いまも、ない、という概念を得たい。

自我という自分で考えた創造物は、自分で考えた時空とセットであり、その意味で、今、ここ、にある。

しかし、それらを創造している主体としての自分は、そこにはいない。

その立ち位置を手に入れることが閉塞感の打開であったのだときづく。

そうなると、

呼吸、筋肉、感覚、行動、言葉、食事、睡眠、運動、資源、という主体性を働かせて、

さらには、

関心、観察、理解、自信、自主、意味、信頼、貢献、希望という主体性を働かせて、

そして、

敬愛、反省、受容、信念、奉仕、感謝、安心、使命、統合という主体的概念創造をしていく、

その中心となる主体は、実在世界にあると・・・

そのような観念、概念創造をしていくことが大切だと気づいていく。

もちろん、このようなことが、自分には必要であったが、他者に役立つかどうかはわからない。

しかし、すくなくとも、自分という主体を、この世界の背後に置くことからはじめるしかない。

そして、相談者がそうならなくても、相談者が無自覚に生み出している世界や概念について、支援ができる立ち位置にはなるだろう。

日々に新たな世界を望んでいたが、その意味は、創造という力に目覚めることであった。

あるいは、多くの空間、多軸の時間、それらを受け入れつつ、統合して生きること、自他という別の世界の背後には統一的な実在があるという視点。

また、究極のところ、概念創造の項目は、主体性の項目は、生きている、うまく生きる、よく生きるという人間の階層的な存在構造でもあるが、

そのよく生きる、ための概念創造の項目を一言で表すとするならば、それは「愛」である。

愛は、思考ではなくて、自分の中に育てるものである。

親が幼児を育てていくときに、親心があるといわれるが、

それは関心→敬愛、観察→反省、理解→受容、自信→信念、自主→奉仕、意味→感謝、信頼→安心、貢献→使命、希望→統合といった関わりの延長から、価値創造が起きることになると思う。

つまり、実践の中でしか、本物の、価値創造は起きてこない。

希望と統合について、説明をしておこう。

希望とは、過去から現在へ、そして、未来へと直線的に伸びる時間軸の設定において、根拠もないのに、未来に期待し、信じ、突き進んでいく、時間との関わり方であるが、

そうやって、進んでいって、振り返ると、過去は、色あせてしまって、未来への準備として、枯れてしまっている。あるいは、思い出すと、希望とは異なった、辛い記憶にそまっているだろうか。

しかし、価値創造、概念創造の力、愛を育てていくことは、その過去にも及び、現在も仮初めであり、未来もまた、つながっていることが自覚できる。愛という意味では、すべてがつながっている。

愛が全うされていったときには(愛の質が高まっていったときには)、未来だけに希望をたくすのではなくて、すべての時間が光り輝いていくのだろう。

お母さんの「大丈夫」という言葉は、本当は愛の強さのことであって、時間を超えていて、過去が失敗だとか、未来が分からないという生活時間とは別次元である。人生全体が大丈夫であると。

実在の世界の反映として、大丈夫。それを時間的な統合として表現したかった。

また、時間と空間は一体なので、愛は、空間もまた統合していくのではないか。

様々な空間と時間があっても、それらは、実在の力、愛の力で、統合されていくのではないか。

そして、私のなかに、この記事のような渇き、閉塞感から、脱出、気づきが起こるのも、実在の力、実在にある主体の力ではないか。

その力は、時空をこえて、年齢をこえて、ずっと働いている。働いてきた。

時空をこえた実在の主体という中心からみれば、それはひとつのつながりのように見えるだろうが。

以上、気づきのメモである。