日本なりのコンサルタント
欧米で盛んな経営コンサルタントの在り方が日本では通用しない。
日本の文化的な側面、とくに企業が共同体であるという点が経済合理性一辺倒の介入ではうまくいかない。
この問題は、カウンセリングでも同様であって、個人が独立していればこそ、カウンセリング的な支援が求められるのだが、日本では共同体のなかで一緒に進んでいきたいという願望があり、それがうまくいかないというストレスまであるのだから、外部の人間がそこに入ってもニーズに合致しないのだろう。
ほっとできるやすらぎの場所をつくるというストレスケアの原点は、実は、つながりの安心でもあった。
人的資源管理としてのコンサルタント的発想ではなくて、共同体の親和や共調をすすめていく支援という立ち位置もある。
しかし、日本独自の在り方というが、今の若い方々は、それぞれが自立して会社への帰属をそれほど考えなくなってきたのではないか。
言葉の世界で文化もあり、ストレスもあるとするのなら、支援者はいわば、言葉の魔術師である必要がある。あたらしい呪術として、言葉の使い方があるのか。
これからの仕事は、発注者側に生まれるのだから、わき役として、自分が役立っていけばよい。
職場づくりも、人づくりも、職員のモチベーションや成長も、すべて、経営の大きな分野であり、企業活動そのものである。
だから、社長や幹部のその努力が実をむすぶように、一段の効果をあげるように、従業員、それぞれの努力がよい結果を出すように、そのための投資、保険として、活躍できるようになりたい。
成果をあげるために研修をしたい・・メンタルヘルスは、そのあとで。このように評価される状況から抜け出していく。