ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

仕事の始動

もう、内面の整理はよろしいだろう。

ここからは、実践の中で積み上げていくしかない。

4月からの再起業の本質とは、クライアントさんに選ばれる「仕事人」としてどうあるか。

何ができるか、どこまでできるか、それはチャンスをいただけないと、試すこともできない。

そのために、できる努力を何でもしようということ。

なにか、裏技的な「うまい方法」を考えて、それで進もうというような、小ずるいことを言っているのではない。正攻法も正攻法。

苦労をまたしよう、働きかけをどんどんしよう。無から有を生み出そうということだ。

今のところ、個人をさけて、企業の仕事をすると標榜しているが、そうではなくて、個人であっても、仕事の発注者としてしっかりと自律、自立されているのであれば、こちらも応えられる。

自分を失って、不調と迷いの中にある人と一緒になにかを生み出していくことはむずかしい。

だから、それは従来の心理カウンセリング、癒し、セラピー、ストレスケアにまかせるということであって、前向きに生きようとしていれば、企業団体でなくても、個人であっても、仕事の発注者にはなれる。

あるいは、研究員としての出会いもありえる。

これから、自分と言う中心をしっかりとつくって、新しい関わりを生み出していく。

これは仕事上のプランである。

では、人生上はどうかというと、表裏一体で、この仕事を通じて、私は成長していくし、気づきを深めていくし、自分をつくりかえていく。

その成果がまた仕事にもよい影響を及ぼすし、私自身の人生の質、価値にもつながる。

このようなシンプルな立ち位置がなぜ、とれなかったかというと、過去の自分にとらわれているから、その矛盾で動けなくなっていたのだ。

過去は過去。これからどうするか、それだけが大切。

人と比べたり、劣等感、優越感を持つことも無意味。

自分がやりたいように、誰の人生も背負わず、自分のために、生き抜くための努力だから。

もっと、仕事をいただけるように、必死になろう。

それはお金が欲しいとか、有名になりたいとか、そのような邪念ではなくて、もっと本質的に、社会で自分を使ってほしい、役立ちたいという基本に戻ろう。

自分に出来ることは何でもするという覚悟はある。

しかし、そのなかで、できれば仕事を選ぼうとしているだけだ。

自分でないとできないこと、自分が得意なこと、やりたいこと、それを抽象的に、考えるのではなくて、仕事を生み出していくときの、選択の問題として、基本、何でもやるという逞しさの中にあってのこと。

生きていく、仕事をしていく。そのために何をするか。

再起業とは、新しい出会いと言い換えてもよい。

スタート時点を思い出してみよう。出会う人はすべて、何かをしてあげたい人であった。

すべてが、仕事のチャンスであった。やってみないと何もわからない。

だから、強かった。

やる前に、ああだ、こうだ、シュミレーションはやめよう。そんなのつまらない。

白紙になろう。アイデアを出そう。

そして、笑顔で生き生きと動こう。

何年やってきたとか、知識や経験があるとか、それが邪魔している。

そんなの捨て去って、また再構築すればよい。

なんど、壊して、積み上げてもよい。

それが再出発だ。