時間とは何か
人間は自分なりのシュミレーション空間を創ってくらす生き物だと書いてきた。
それゆえに、記憶と予測を現状に重ねてみているのだが、それを過去、現在、未来なのだと観念するようになっている。
しかし、私たちの実感としては、現在が未来へと進み、過去が流れ去っているようには感じ取れない。
つねに自分は今、ここにあって、周囲が動いているのであって、その動きを時間の流れとして把握しているのであって、自分が時間の流れのなかにあるようには思えない。
もちろん、自分も動いているのだが、その自分が中心であるがために、時間は感じ取ることができない。
自分の世界では、いつも今であって、それは永遠だと言ってもよい。
そこに他者の世界が接触したときに、他者を中心とした世界が見えてくるが、そこでは自分も登場人物であり、その中心のまわりを動いている。
時間とは、他者の目、社会の目のなかで、動いている自分を認識したときに生じるものだ。
自分の世界での、思い出や予測は、今として出現しているに過ぎない。
このような事情を新しい思考法として、どのように展開すればよいのか、そして、目的、目標、手段といったものがどのように変わってくるのか。
それを考えていきたい。