自然の子と社会の子
人間は動物と同じように自然に適応して生きる「自然の子」でもあるが、同時に社会を構成して、その社会に適応していきる「社会の子」でもある。
ストレス問題は、社会の子として適応を進めると、自然の子として不適応を起こしてしまい、逆に自然の子としての適応を進めていくと、社会の子としての不適応を生み出してしまうという相克、矛盾の中にある。
仕事で要求されるものは、自然のリズムを壊し、感情、本能を抑え、疲労をためて、回復を阻害させる要素に満ちている。
人間の遺伝子的な心身の力は、原始時代にセットされて、この社会の激変にも関わらず、そのままである。
だからこそ、この自然の子と社会の子の矛盾を解消するための「スキル」を訓練して身に着ける必要がある。
様々なライフストレス研究は、この目的を達成するためにある。
例えば、WHOが提唱している10のライフスキルだが、問題解決、手段選択、創造的思考、批判的思考、人間関係などは社会の子として磨いていかねばならない不可欠のスキルである。
それとともに、自己理解、他者共感、コミュニケーション、感情の安定、ストレスコントロールは自然の子としての自分を失わないためのスキルだともいえる。
もちろん、この10のスキルは相互に関連していて、このように二分化できるものではないのだが、このスキルの背後に込められている、自然の子と社会の子の「調和」というセンスに気づいてほしくて書いてみた。
ただ、ライフストレス研究は、ここにとどまるものではない。
LIFEが生命(自然の子)、生活(社会の子)だけでなく、人生という意味を持っていることを忘れてはならない。
私は20年にわたってこの分野の研究を追ってきたが、いまだ、人生におけるストレスの問題は十分には解明されていないように思い、探求を続けている。逆にいうと、生命、生活においては、ほぼ、何をすればよいかが明らかになったように感じている。
今は、明らかになったものを講演やストレス相談などで伝えながら、残りの課題にむけて、少しずつ語っていきたいと思っている。
自分を主人公とする人生物語をどのように書き続けていくか。そのためには、人間とは何か、人生とは何かなど、科学を超えた価値の世界に挑んでいく必要がある。
このブログでも、二元論の克服とか、不可知の世界などについて、書いていくのも、その基礎論ということになる。
若い方が、仕事もうまくやれて、生活も安定しておりながら、「こんな状況が何十年も続くと思ったらとても耐えられない」と言われる。
年をとった方が、長寿のなかで、生きる意味を見失って、早くお迎えがくるといいのにと言われる。
人生の意味の喪失、虚無との闘いというテーマがそこにライフストレス研究の大きなテーマとして残っているのだと思っている。