ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

体験世界の違いと記憶の変容

私たちが体験している世界、それぞれの人生では、自分が主人公であって、他者は登場人物になる。

私が主人公の世界で相手の言動をみて解釈した内容と、相手が主人公の世界でその同じ言動がどのような理由で起きているのか。そこには大きな隔たりがあると書いてきた。

それには、いくつかの理由がある。

�@ それぞれの体験世界が幼児期からどのようにして形成されてきたか。そこには遺伝子的に体質が異なるように気質の違いがあり、同じような体験でも反応が異なる。また、人間は自分の行動に対する結果、つまり体験の蓄積で世界を学んでいくが、その体験の違い。

�A 種としてのヒトは、人間の養育者から言葉、知識、習慣、文化、価値観などを教わって「人間」になる。この養育者から受け継いだものの違い。また、養育者との関わりのあり方。

�B 他者からのまなざし。自分が他者からどのようにみられているかという評価。それをふまえて、体験世界が修正されていく。

�C このような前提条件が形成されてくると、それ以降の体験は、その枠内で理解され、意味付けされていく。先入観によって世界は固定化されて、守られていく。

�D 自分の世界観に反する体験は、「異物」「ストレス」として、受けとめられる。それはある意味、世界観の偏りを教えてくれているのだが、世界の安定が優勢されて、他者が悪い、環境が悪いというように解釈されるようになる。

以上のプロセスを促進しているのが「記憶」の力である。

私たちの記憶がもしビデオカメラのようにすべてを残しているのであれば、再生のために長い時間がかかり、目の前の現実に対応できない。したがって、必要なものとそうでないものが取捨選択されている。

私がストレス面談で驚くのは、親子、あるいは夫婦などの話を聴いたときに、同じときの同じ体験を話していても解釈が異なること。言動についての記憶が異なること。

そして、長い時を過ごした中での「覚えていること」「覚えていないこと」もまた、大きく異なっていることだ。

さらには、「記憶」は、思い出すたびに再構成されているので、変容が起きていく。

自分の世界観に合うように修正されている。

日本に「内観法」という精神療法があるが、それは日常生活から離れて、時間をかけて、幼児期から今日に至るまで、親など身近な人から「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」などを思い出していくものだ。

それによって、今の自分の体験世界が大きくゆすぶられて、頑なものがとれて、素直な心を取り戻すことになる。

涙の中で自分が愛されていたことに気づく場合もあるし、自分がそれに応えておらず、かえって迷惑をかけてきたことにも気づけるそうだ。

沈んでいた「記憶」の断片が浮かび上がってくることで、自分が暮らしていると思っていた世界にひびが入り、再構成されていく。

このように、ライフストレス研究では、「記憶」の問題にも焦点をあてていく必要がある。