ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

生命と生活の不調和を統合するもの

心と体を「生命」としてみれば、そこには変化しながら安定していく調和の力があります。

そして、それは「自分」という殻の中で閉ざされたものではなくて、大自然の中に開かれていて、外部の自然と人間内部の自然はつながっています。

そこには収縮と拡張というリズムがあり、支えあいがあり、人間の知識を超えた知恵(自然の摂理)に満ちているものだと思います。

それに対して、社会生活という人間がつくった世界では、個人が単位となって、生産活動をしながら、消費をするという市場経済の中で、自然のリズムや摂理に反した言動や習慣が求められるようになり、社会の子として立派であろうとすれば、それが自然の子としての人間を圧迫するという状況が生まれています。

時間で比較すれば、自然の時間は円環であって、昼夜の移り変わり、月の満ち欠け、季節の移り変わりから、大洋の深部浅部の循環にいたるまで、円をなして、永遠の相のなかでまわっています。

それに対して、社会生活の時間は、過去から未来へと目的にむかって突き進みんでいく、矢印のついた直線であって、精鋭化した先端は、円環を切り裂いていくのです。

それとともに、過去は未来への手段として、消え去っていくように見えます。

誰もが、前をみて、後ろはどうしようもない、終わったものだと価値を認めません。

この生命と生活の不調和がストレス問題なのですが、この二つを統合して調和させるものとして「人生」という見方があるのだと考えています。

人生物語では、現在の体験によって過去の見え方が変わり、解釈や体験も変わっていく場合があります。

この時間の流れを見つめている視点は、この時空にはありません。

自由に過去と現在と未来を見つめている視点です。

ここにおいて、生命と生活の不調和は統合されていく可能性があるのではないでしょうか。

また、人生という見方は、自分という主人公だけでは人生が出来上がらないということから、他者が登場人物として必要だという考え方が出てきます。

もちろん、人間だけではなくて、自分の人生の中では空や雲、海、森、様々な植物や動物や虫、そして、一個の石に至るまで、一つでも消えたら自分の人生ではありません。

舞台の大道具、小道具、背景幕があって、主人公以外の悪役や仲間、様々なわき役が必要なように、自分の人生とは、自分だけではなくて、他者、他物を含んだものだと気づくでしょう。

そして、その他者を主人公として別の人生が重なって存在しており、また、ひとつの「時計」であっても、それを主人公とした物語が重なっているということです。

そうなると、この時空で自分と他者、物、環境というふうに、平板に見えていたものが、大きな物語の重なりとして、厚みをもって見えてきます。

このなかで、自然の子としての自分、社会の子としての自分は、人生物語の中の自分として統合されていくのだと考えております。

そして、自分が見ている世界は、自分が知っていることで構成されておりますが、その裏側には、自分の知らないこと、不可知の世界が存在の根源として、確かにそこにあって、その大きな物語が、自分の物語や他者の物語を支えているのだと感じます。

もはや、このような価値の世界、物語の世界、見方というものは、科学ではありませんが、人間学、つまり、人間とは何か、人間はどのように生きればよいのかという学問体系としては、まとめることが可能なのではないかと考えております。

そして、そのような価値、見方の転換によって、実際にストレスが解消されて、不調和が消えるのであれば、それはライフストレス研究としては、妥当なものだと思うのです。

今回の記事は、すこし先走って、まだ、熟していない考えを紹介しました。これから肉付けしていくことになります。