ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

個人の目標と人生の声

意味のある人生というテーマを考えていくときに、よく言われるのが「やりたいことを見つけて、それに向かって努力する人生」ということ。

だから、「やりたいこと」が見つからないという悩みがあるし、「やりたいことをやっていない」という悩みもある。

自分や相手の過去の人生物語を切断して、しかも他者や外界の事物もまた自分と切り離して、自分自身の現在という意識のなかに「未来」を決めていくものが折りたたまれていると考えれば、答えは自分の心の中にあるということになる。

しかしこれまで説明してきたように、自分の人生とは自分という主人公だけでなく、他者という登場人物や外界の事物を必要としていて、しかも、過去から未来へとつづく時間の中で積み重なっていく連続したものだ。

そう考えると、未来を決めていくものは、この「人生」の中にあることになる。

現代社会では、願望をいだくことがエネルギーとなって、それを具体的な目標として、実現にむけて努力していくことが推奨されている。

しかし、この目標は独善的、自己満足的なものではなくて、社会に開かれている共同体意識である必要がある。

だから、目標について、自分のやりたいことで誰かの役に立つという夢として語られることが多い。

もし、自分の意識、願望が鏡のように映されたもので、実体は人生のほうにあるとするのなら、それは最初から共同体的であるし、倫理的であるし、かつ人生としての意味を有しているものだと思う。

自分という意識のままでは、「人生」は見えないし、「人生」の声は聞こえない。さらには、自分の人生を包んでいいる不可知の世界、大きな生命、大きな物語、存在の根源からの声も聞こえない。

この声に耳をすませて、その声に従って、それを言動に移していくことが大切だと思う。

同じような活動をしていても、その動機や目的がどこにあるのか、それが大切なのに、何かの形になるものを実現したら目標達成だと考えることが落とし穴のように思う。

よく夢として〇〇になりたいという職業を語る人がいるが、それはどのような声に従って、どのようなことをしたいからなのか。

それを知りたければ、自分の人生をよく観ることから始めなくてはならない。