ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

他者の評価と他者視点から自分で見ることの違い

他者の評価に踊らされることの愚かさには多くの人が気づいていて、その反動として、どのように思われても、自分がやりたいことをやっていくところに喜びがあると考えてしまった。

人生は自分を主人公としたものではあるが、その他者を主人公として私がわき役になる人生も重なっている。

自分の人生を豊かにするには、自分の人生の登場人物である他者を大切にするだけでなく、自分が登場している他者の人生もまた大切にするという視点が必要だと思う。

このことは、他者の評価を恐れて自分を防衛的にすることとは全く異なる。

「他者視点を用いて、自分で自分の人生を見る」ことだから、そこには発見がある。

そこに人生の声がひそんでいる。

その意味では物だって体の一部だって語りだす。

散らかった部屋について、自分なりに理由、言い訳はあるだろうが、その「部屋」を主人公にして語らせるとどういうだろうか。

自分の腰が痛くて、不自由を関しているのは分かるが、その腰を主人公として語らせれば、どのようなことを言うだろうか。

あるいは、自分としては不愉快で嫌いな相手ではあるが、相手を主人公として語らせたとしたら(相手もまた自我を乗り越えて冷静に話すとしたら)、何を語ってくれるだろうか。

このようなことは、自分の思考なのだから、自作自演のように、滑稽だと思われるかもしれないが、そうではなくて、そのような新しい思考方法を身に着けようという提案である。

このような訓練をしていったとき、自分の進む道はまた別の形で示されるようになるのではないか。

これらの作業をしていないということは、すべて自分を主人公とした意識の中で、やさしくしたいけどしなくない、散らかっているのは嫌だけど片付けれれないなど、内面的な葛藤として、どちらが強いかで決着がついているだろう。

そうではなくて、鏡として映したものだと考えれば、本当の人生の登場者同士の対話としての思考が形成されていくのではないか。