人生への信頼を育てる
私たちの思考は、「自分」を中心において、特定の問題を「人生」から切り出して、それがどのように変化していって自分にどのような影響を与えるのかを予測するようになっている。
その限界は天気予報を考えるとよくわかる。かつては、自分の立ち位置から見える雲や風、湿り気、虫や鳥の動きから天候をよんだが、台風の予測などもっと自分を超えた「地球」という単位で考えないと難しいことに似ている。
自分は「部分」なのに、そこで得られる見え方で、全体を予測することは難しい。
人間関係などでも、相手の人格をふまえて、知りうる今までの状況から、自分に対して、どのようにかかわってくるかを予想するが、このときの思考は、「不安」「願望」と呼び変えてもよいような代物である。
もっと、人生という大きな土台に足をつけて、他者もまた、人生という大きな土台のなかで動いていることを思い出そう。
自分と相手だけでなく、もっと多くの登場人物がいて、出来事があって、人生は積み重なって大きくなっている。
直線的予測思考の限界を知ろう。それがむしろ、私たちのストレスを増大させている。
これは本来分からないものまで分かろうとした無理からくるものだ。
分からないものは分からないと捨て置いて、そこに無理な願望を重ねたり、過剰な不安をもたないこと。そうなるとは限らないとつぶやいてみてほしい。
では、無為無策でよいのかというと、それでは自分の主体的な言動はなくなり、人生もその場しのぎになってしまう。
だから、自分の人生の声を聴こう。何もかもが語りかけてきている。
不安や願望で予測した他者の言動は、人生を鏡で映したようにして成立している「自我」が「自分はどうなるのでしょうか」とつぶやいているに過ぎない。
それを知りたかったから、自我の檻を出て、もっと大きな人生そのものに耳を傾けるしかないと思う。
人生は不安をあおったりしない、人生は執着をすすめたりしない、人生はいつでも主人公である私の味方であり、決して見捨てないし、あきらめない。
この「人生」への信頼を育てていくことが第一歩ではないだろうか。