自分の感情を大切にするが他者には使えない
それぞれの人が自分の願望世界において、出来事や他者との関わりにおいて、様々な感情と出会うが、それは自分の大切なものであり、抱きしめるような感覚が必要だ。
相手が自分を軽んじたときの不快感、相手が冷酷であったときの軽蔑、相手の傲慢さに対する怒り、相手の挫折にふれたときの悲しさ・・
これらの感情は、相手からすれば、勝手な決めつけであり、うれしいものではないかもしれない。
しかし、こちらの世界においては、必然として生じるもので否定はできない。
だから、この感情は大切な「自分のもの」であって、ほかの誰のものでもない。
ところが、人間はこの感じ方や感情を相手に及ぼそうとする。
自分の不快な感情を起こした相手に責任を問うような感覚から、相手の言動を変えたいと思うようになる。
自分の感情をどうして他者にまで及ぼそうとするのか。
あるいは、逆に他者が自分に対して、思い込みからネガティブな感情を抱いたとする。それは相手のものであって、こちらが介入するようなものではない。
でも、思い込みを正そうとしたら、自分にネガティブな感情を持つことを許せずに、こちらも不快になったりする。
それぞれが主体性をもって動くことが大事なのだから、自分の感情をどう扱うのかも、自分の意志で決めることだ。
自分がいかなる感情を抱こうがそれを許すと同時に、相手がいかなる感情を抱こうがそれはどうしようもないことだと知るしかない。