ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

精神の故郷

この世界を構成し創造している場所は、この世界の内にはなくて、外にある。

しかしこの三次元シュミレーション時空もまた、未来へとつづく時間の矢は永遠にむかっており、空間の広がりは無限に開かれている。

だから、この世界の外という意味は、時間と空間のはてを言うのではなくて、時間や空間の生まれる故郷のことであり、この世界からは見えないもの、不可知の世界だ。

だから、私という個体がこの世界の内部を観るようにして、いくら探しても、精神の故郷は見えはしない。

むしろ、この世界全体を観ている場所こそが精神の故郷である。

私はその意味で存在の根源であり、大きな生命であり、大きな物語である。

だから、この世界内のことで、しかも、自分という個体のことで悩むのは仕方ないとしても、そこから抜け出して異なった観方を持つことが可能である。

なぜ、仕事をするのかと、この世界内の言語で表現するのなら、生きるため、社会のため、誰かのため、自分のためというような答えもあるかもしれないが、精神の故郷からみれば、すべては表現である。

この世界を創造していくこと、本当の自分を表現すること、本当の他者に出会うこと。

では、なぜ、そのように思えないか。それは、これまでなじんできた問いと答えを手放せないからだ。

だから、自分の問いや答えを疑おう。

本質的な問いとそのための答えを持とう。

自分が何者であるか、それを知って、問いかけて、答えを出していこう。

こうして、書いていくと、私は真白になっていく。無知になっていく。

素直になっていく。

ここからはじめよう。自分らしくない答えを手放していこう。

たとえば、〇〇しないと生きていけないからという考えはどうだろう。いちいち、個体の生存、欲求の充足のためと考えないといけないのだろうか。

小人の国の神様の物語を思い出してみよう。さとりの壺をもった気持ちになってみよう。

ありがとう。すみません。感謝します・・・