シュミレーション世界の本質にむけて
このところ、不可知の世界について、占星術関係の方、スピリチャルの方、宗教系の方などが、どのように記述しているかをネットで調べていたが、「科学的な見方」を外せば、それらは、説得力のあるものとなり、なるほど、魔術的な世界とはこうして人間の信念に入ってくることは、むしろ、簡単なことなのだなと納得する。
科学的、物質的なものの見方が出てくるまでは、ある意味、人間が納得するかどうか、意識作用、信念の問題だったのだと思う。
今日では、科学的な見方が人間を物質化して、心の脳の演算とされて、そのような個人的な信念が世界に及ぼす作用は小さくされていったし、その反面で、様々な技術や仕組みをもって、この世界を変えていったことも事実である。
今は未来への分かれ道であって、AIなどに頼ったさらなる物質文明の成熟とそのなかで個人として生きいくための能力アップを求められているという道と、もはや、このような道から逃れたいと、物質をはなれた世界を指向する道があるように思われる。
あるいは、この二つは別の道ではなくて、同じ道の二つの顔かもしれない。
ここにおいて、大切なことは、この二つの道に引き裂かれようとする自分を自由に保つことだと思う。
試みに、前者を「シュミレーション世界」、後者を「精神の故郷」と呼ぶが、これは対立するものではなくて、お互いに補完するものだと思われる。
そして、本記事で確認しておきたいのは、現代の用語をつかった「新しい呪術的世界」もまた、ひとつのシュミレーション世界であるということだ。
占星術、スピリチャル、新宗教が、物質文明を乗り越えた「精神の故郷」というわけではない。
精神の故郷は、不可知であり、言語化できるものでもなく、私たちの把握できる存在ではなく、つまり、思考を超えたものであって、存在の根源にあるものだ。
無である。そして、有と無は支えあっている。
私という人間もまた、無であり、有であり、それが支えあっている。
だから、新しい呪術を言語化していくことは、結局、この支えあいにおいて、新しいシュミレーション世界をつくることで、精神の故郷と調和させようという営みであるということにきづく。
そして、それはともに学び実践する仲間、集団によって成立する共同幻想なのだから、全人類が進む道ではなくて、「仙人的」な一部の人間の実験になるのだと思う。
私は、これもまた、観念の遊戯ではないかと思わざるを得ない。
科学の枠をはめてつくった自我の世界、科学の枠をはずして呪術的な広がりを持つ自我の世界。
いや、物質を前提とするのではなくて、神、魂、霊を前提とするのだから、それを自我を乗り越えた神の世界が存在として現れているのだというかもしれない。
しかし、私は、人間が構成する以上、創る以上、どのような世界であっても、自我の世界であると考える。
言葉の世界、観念の世界、因果の世界・・・
その意味では、私は、「自我の世界」という意味、シュミレーション世界の意味を、科学的物質的世界観のなかで説明してきただけで、その他の世界を説明できる普遍的な説明法に至っていないということになる。
では、神や魂、霊の世界をみる新しい呪術的世界もまた、自我の世界なのか。
自我の世界、シュミレーション世界の本質とは何かという問いが生まれてきた。