ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

呪術的世界もまたシュミレーション世界である

シュミレーション世界とは、自分の望む世界、期待する世界、生存に適した世界を構成するために、言葉をつかって、実在のうちから選び取った項目で世界を都合よく再構成したものである。

その意味で、虫には虫の世界、植物には植物の世界、それぞれの動物には、それぞれの世界があって、人間には人間特有の世界がある。

新しい呪術的世界であっても、人間特有の世界の範疇で、私たちには不可知の実在の世界を切り取って再構成しているのである。

ただ、切り取るときに、物質と精神をわけていないので、呪術的世界では、物にも心がある、すべてが精神の産物であるというふうに見えるが、それもその都度勝手に見え方が変わるのではなくて、むしろ、しっかりとした神話、物語、シンボルによって、固定化されている。

この世界の秩序、安定性、恒常性と人間がその世界にどのように介入して結果を得るかという仕組みがシュミレーション世界の特徴である。

神や魂や霊が出てくれば、この世界が自我から解放されるわけでもない。

むしろ、このように神話、物語、シンボルで固くまとめられた世界においては、今度は、精神的な意味で、人間はこの世界にしばりつけられていて、本当の意味で、自由に、この世界を超えることはできない。

現代世界が人間を物質的にしばるのであれば、呪術的世界は人間を精神的にしばる。

そして、むしろ、精神的な呪縛から抜け出すことのほうが難しい。

エス釈尊ソクラテス孔子などが、新しい道を説いても、民衆は簡単には納得しなかった。それは物質崇拝で神や仏、天を信じないからではなくて、別の精神的な束縛のせいであった。

自我は、むしろ、精神的な固定を受けた場合にこそ、強固になる。

宗教戦争をみよ、行き過ぎた民族意識、国家崇拝をみよ。

その意味で、物質世界、科学的世界は、万能ではないが、そのような個別の精神の王国を壊してきたものだ。

それがいまだ壊せない、中国の共産主義軍国主義イスラムなどの宗教国家などで、集団的「自我」が世界平和の構築を阻害しているではないか。

科学に基礎をおきながら、万人の納得を得るように、精神の故郷にそむかないような、新しいシュミレーション世界、人間のための世界が必要なのだ。

一つは、このようなシュミレーション世界の相対化。

人間の世界だという自覚。自分の世界だという自覚。

そして、そのなかで暮らしつつも、精神の故郷との絆を結んでいること。

新しい呪術的世界に入り込むこともまた、ひとつのシュミレーション世界に過ぎないと知ること。

無を背景にした有であること。

神、魂、霊という言葉を、この科学的世界にむりやり押し込むことではなくて、それを認めて、絆をつくって、さらに、この世界をよいものにしていくこと。

それでは、これまでの私の道に何がたりなかったのだろうか。

科学や人間学をつかって、ストレス、苦の解消にむけて援助してきた道のどこに足りないものがあったのだろうか。

それは、相手の、そしての自分のシュミレーション世界を「前提」として、その世界を超えることについては、まったく及ばなかったからだ。世界内修正という道が、結局は、その世界を強固にしていたという反省だ。自我をつよめて、世界を固めていた。

このことを忘れてはいけない。