ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

シンプルに

このところのテーマは、精神と物質、自己と他者などの本質を探ることでしたが、それはとても煩瑣で複雑な話になるということを痛感しました。

そのようなテーマで努力することにも、価値はあるでしょう。

しかし、ライフストレス研究では、どのように生きるかという実践が大切なのですから、異なったアプローチをとる必要があります。

その意味で、精神と物質、自己と他者という二元論の問題に踏み込まずに進めようとして、私は、ライフ、生きることとは、生命、生活、人生という次元にわかれるのだと書いてきました。

生命は人間の内外でつながっていて、大きな自然、大きな生命として一体です。その力を働かせるように、主体性をつかって生きるという意味で、呼吸、筋肉、感覚、行動、言葉、食事、睡眠、運動、資源活用という9つの項目を見出しました。自然につつまれた安心があるでしょう。

また、人生は、大きな存在の根源、精神の故郷につつまれており、この世界にこめられた精神がうまく働くように主体性を働かせる必要があります。

そのための主体性の項目として、関心、観察、理解、自信、自主、意味、信頼、貢献、希望という9つを見出しました。ここには充実感のある毎日があるでしょう。

そして、「生活」では、WHO(世界保健機関)が提唱しているライフスキルの10項目を主体性をもって働かせていくことです。

問題解決、手段選択、創造的思考、批判的思考、人間関係、コミュニケーション、自己理解、他者共感、感情の安定、ストレスコントロール

一概には、いえませんが、この「生活」上のテーマは、何かを達成していく「達成感」と関係があります。安心感、充実感にくわえて、人間であるということは、この社会生活のなかでの目標達成というテーマも重要であるのです。

現代社会では、この社会生活でのストレスが増大したために、生命や人生のレベルにもひずみを波及させております。

そこで、生命を蘇えらせて、人生を取り戻すというテーマが様々なところで、提案されているのですが、この「生活」における不満、葛藤、苦しみに対する処方箋もまた必要なのです。

繰り返しになりますが、この世界が四苦八苦という苦に満ちているからといって、生命、人生というレベルに自分をおくことで解決したように考えることで本当によいのだろうか。そのような疑問も持っているのです。

つまり、生命の裏打ち、人生の裏打ちを得て、もう一度、「生活」のなかに飛び込んで、生きていくという脱出と復帰という運動が必要だと考えます。

生命や、人生からみれば、「生活」は仮想であり、シュミレーションであると思えるかもしれませんが、「生活」こそ、私たちが大切にしないといけないものです。

また、「スキル」という考え方も重要です。

暮らしに活かすやさしい人間学は、生活における「スキル」を重視していきます。

以上の記事は、便宜上、生命、生活、人生という3つの階層に分けましたが、日常では、混然一体となっています。

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このような筋立てをつくったうえで、相手の心をよんで、自分の心をみつめて、自分を変えようとして変えられずに、生き辛さを感じている人のことを考えてみよう。

もちろん、主体性を失った姿である。

人生や生命の裏打ちもない。

生活になかに飲み込まれて、そこで苦しんでいる。

あえて、ライフスキルの項目でいえば、「自己理解」「他者共感」のスキルの問題ではないだろうか。

このところ、煩瑣で、複雑に、自己と他者の問題を考察してきたが、これから、生活レベルのライフスキルの問題として調べてみたい。

自己理解、他者共感から、波及して、コミュニケーション、感情の安定、人間関係といったところにいたり、ストレスコントロールにも影響しているだろう。さらには、ほかのスキルにも。

自己理解のスキル、他者共感のスキルについての考察が急務であるようだ。