ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

面談技法の背景とライフ

心理カウンセリングは「心理」を対象とした面談である。行動変容、適応促進、発達課題の乗り越え、主体性の回復、メンタルヘルス、ストレス解消・・など目的や効果を考慮して、様々なやり方もあるのだろう。

ここでは、なぜ、「心理」を対象とするのかを考えてみたい。

それは、各人が独立しており、行動の背後には動機があり、「心」をかえれば行動がかわり、行動が変われば生活が変わるという前提があるのではないか。

自分という個体を世界からくりぬいて、その個体が世界のなかで、心を働かせて動いているというモデルであれば、「心」を変えるという手段が大切なことのように見えてくる。

しかし、実際には、脳を含む身体が「個人」であって、むしろ、身体のコンディションによって、「心」が影響を受けているというモデルに立てば、いくら「心」に働き掛けてもうまくいかないことがあり、その場合には、身体への介入技法こそが、カウンセリングになるという立場が出てくる。

この「心から行動へ。心から身体へ」というモデルと、「行動から心へ、身体から心へ」というモデルのどちらかをとるかは、選択の問題であって、片方で日常の選択を貫こうとすれば弊害が生まれている。

しかし、この両者のモデルは、所詮、世界から「個人」を切り離して、「個人から世界への働きかけ」をしていくというモデルを分類したものにすぎない。

これに対して、個人の心、個人の身体の独立性をゆるめる考え方もある。

つまり、身体という自然は外部の自然とつながっていて、外部と内部の関わりによって成立しているという考え方がある。

これはライフの一部である「生命」においては、統一的、連続的に考察する必要があるということであって、生老病死という自然の摂理のまえに個人の自由度がないことの理由でもある。

自然のリズム、ゆらぎ、生成、創造と破壊、調和・・そのような全体のなかで、人間の「自然」も考察されねばならない。

そうなると、個人のなかに問いと答えがあるのではなくて、目の前の現実、自分の肉体も含めた全体の自然こそが叡智であり、そこから知恵と力を引き出していきるというモデルになる。

その場合の面談技法としては、ライフの「生命」を対象としたものになる。

心という表現は、ライフにおける生活や人生をカバーしているように思われるかもしれない。

多くの若者が「心理カウンセリング」をやりたいとあこがれるのは、「人生」の答えが欲しいからであり、生活の質を向上させたいのだと思うが、心理カウンセリングには、そのような力はない。

生活とは、人間と人間の関わりそのものであって、個人の「心」という小さなものではない。生活という人間と人間、集団・社会の問題を自分の心の問題に矮小化するから、解ける問題も解けなくなってしまう。

心のなかには、答えなどない。その現実の人間の関わりそのもの、生活の実態、そこに叡智があり、そこから知恵と力を引き出していかねばならない。

また、同様に、人生の問題を個人の心理的な問題に矮小化するから、どこにも出口のない問いを繰り返し、悩み続けて、確かな行動化、人生の創造ができなくなってしまう。

援助が必要だとするなら、生活や人生を対象にした「面談」が必要で、その方が、日々の選択をどのようにして、生活や人生を創造するかが重要である。

そうして、ライフ(生命、生活、人生)が日々、主体性をもって創造されていく姿は、逆にいうと、ライフ(生命、生活、人生)という叡智が、日々、その人を導き、育てているというふうにも見えるだろう。

だからこそ、ライフを対象とした面談が必要なのだ。

かつて、近代的な自我が生まれる前の時代には、神や仏、祖霊など、大きな意志が世界をおさめていて、人間が生きるためには、その意志を知って、順応していく、従っていくというモデルであっただろう。

そこでは、相談業務があったとすると、その大きな意志がどう考えているかをかみ砕いて解釈して各自に伝える仕事であっただろう。呪術師、宗教家の仕事がライフをつくっていたのだろう。

各自が「人間」「個体」としてバラバラにされて、各自が自我をもち、意識をもち、自分で決めて、自分で行動していくというモデルになると、神も仏も祖霊も姿を消して、目の前には、物質世界が広がり、それらには「心」がないものだとされた。

大切なのは、自分の「心」、そして、よくは分からない相手の「心」、それを予想しあって、この世界でそれぞれが関わりながら生きていく。

そして、不都合、不調が起きれば、自分の「心」に改善点があるのではないかと考えて、様々な考え方をあみだし、試し、望む結果を得ようとする。

個人の「心」を使った、新しい「呪術」が求められていて、心理カウンセリング、コーチング、セラピーなどが盛況であるのだろう。

私は、このモデルを突き詰めていったがために、解けなくなったライフの諸問題があると考えている。

どれが正しいかではなくて、これからの私たちは、心理カウンセリングも、コーチングも、セラピーも、ライフを創造していくために使いこなさないといけない。

私がストレスケアカウンセリング、心理カウンセリングをいったん停止して、立ち止まっていること、新しい方向性の面談を準備しているのは、上記のような考えによる。

とはいえ、私の面談をみておられたとしても、外見上、普通に話をしているように見えるだろう。心理カウンセリングをしている人には、そのように。コーチングをしている人にはそのように。

使う技術は変わらないものが多いはずだ。問題は、対象とやり方、使い方である。

前提のモデルの違いによって、効果も大きく変わってくるのだと信じている。