ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

時間と人間観

【時間と人間観(世界観)】

複雑な社会で集団として協調して暮らすためには「時間」が重要である。時間がずれていると約束ひとつ果たせない。

また、時間が出現するには、人や物が分断されて個別化している必要がある。

その個別化したものが、ある距離を特定の速度で移動すると

それに要する時間が出現する。

つまり「自分」(自我)と時間はセットであり、「個人心理的人間観」の産物であることが分かる。

これに対して「個別世界的人間観」では、自分が見ている世界は自分が創り出しており、他者は別の世界を見ているとするので、ここでは時間がない。

あるのは、記憶としてのエピソードと自分なりの現状の観察と理解、そして先の予測である。

これを「過去」「現在」「未来」と呼びたいのだろうが、過去にしてもその人を中心にしたエピソード記憶であり、相手と出会っている生きた場所ではない。未来もまた、その人の予測にすぎず他者との出会いがある生きた場所ではない。

では現在はどうかというと、それも自分なりの観念であって、他者はそこにはいない。

そして、個人心理的人間観で流れている時間は、出来事が出現して、それを受け入れて、次の対処にむけて、先の予想をして、選択・行動をしていくという瞬時の世界だ。

人間が集団のなかで、集団心理的人間観で生きていることで、この時間もまた共有化され、体制化され、共同での信念として現実のものとされる。

ほかの生理学的人間観、脳科学的人間観、分析心理的人間観、情報処理的人間観では、人間を客観的に考察するためのもので、リアルな刻々の体感時間とは無関係である。

そして、主体的人間観とは、これらの人間観を選んでいる主体機能のことなので、ここには時間がなくて、働きがあるだけだ。

粗削りのスケッチのような記事だが、私たちが人間観を切り替えているときに、時間感覚もまた切り替えていることに気づきたい。

悩みの正体が「自我」「集団」「時間」だとしたら、現代人はこの時間への認識が狂っていると言えるかもしれない。

本当に流れているように感じる「瞬時」が、集団的に「過去」「現在」「未来」というふうに観念化されているが、その実態は「記憶」「観察」「予測」である。

この過去や未来が観念であることを忘れて、実体だと思うことが悩みの解決を難しくしている。

刻々の選択によって、出来事は姿を変えていくが、それによって過去の自分なりの記憶の解釈や未来の予測も変わっていく。悩みは幻であったと気づく。

個人心理的人間観の世界に、集団心理的人間観、個別心理的人間観がまぎれこんで、一体化して、素朴に感じている我々の世界ができている。

マインドフルネス、瞑想などがこの幻想を打ち砕くことで、悩みを消していくとされているように思う。

リアルな瞬時の流れを大切にしてみよう。

そして、この流れは、感覚記憶といわれる作用で、視覚では1秒以下の短い時間、聴覚では5秒程度、私たちがデータを保持していることで、残像がみえ、音が続いて聞こえる。

体感的時間は、このような生物的な「人間」としての内的世界創造の機能によって生まれている。

この時間と、観念的世界での記憶想起と予測を区別しよう。