ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

感情の渦と自己受容

最近の面談に、このところ考察してきたことが顔を出してくるようになってきた。

人間の生得的な集団性に関する傾向・感情・行動パターンをふまえて、相談者の語る出来事を聴いているようだ。

分析的な個人心理を想定するのではなくて、集団のなかで、どのような感情のやりとりが起きているのか。

表面的な対立の構図や正しさのぶつかり合いにみえて、実は裏面での感情的なやりとりが起きている。

そして、そのような感情的な集団性の渦が「問題」を起こしているのだから、対立を調整し、正しさを議論しても、火種が消えることはない。

それぞれが主体性をなくして、その仮想の「問題」を中心にして感情の渦に飲み込まれている。

この渦の正体に気づき、そこからの離脱を図るためには、自分自身が「何を受容できなかったのか」を気づく必要がある。

そこに戻らない限り本当の出口は見つからない。

集団のなかで、日ごろは直視してこなかった相手の生き方の姿勢や自分との関わりが急に嫌になり怒りが湧いてくる。

しかし、それについて話をするのではなくて特定の問題で相手が間違っていると攻撃する。

すると相手はその問題の是非ではなくて、相手が裏面に込めた怒りによって、怒りを引き出される。表面的な反論は不合理であってもかまわない。怒りをぶつけるための言葉が出てくる。

それによって、仮想の問題で対立構図が出きて、言い争いになるが解決することはない。裏面の感情的反発のエネルギーが尽きることなく供給されるからだ。次第に言葉のやりとりはエスカレートして仮想の問題も動いていく。

長年受容できないで我慢してきた感情がお互いに暴発しているのだ。

受容できなくてもいいから、この渦の正体として、相手の生き方や自分への対応が許せない自分がいると認めることだ。

そこからスタートするしかない。