共有時間と自然の流れ
共有時間でつくった計画が自然の流れによって破綻すると、すぐに希望的観測、願望によって、この計画が復旧されるのではないかと思う。
共有した計画のせいで、目の前のありのままの出来事を受け止めることが出来ない。
だから、それを踏まえた主体的な行動選択が出来ない。
また、新しい共有化された計画を生み出さないといけないのに、観念の世界にとらわれている。個別世界的人間観。
なぜ、計画が破綻すると嘆くのか。それは最良のものだと思っているからだ。
ところが自然の流れが生み出した目の前の出来事から最良のものが生まれるとしたらどうだろう。
人間の知識は不完全である。その明晰さには限界がある。そういう謙虚さが必要だと思う。
出来事に向き合って最良の選択をする知恵こそ求めたいものだ。
自分の見通しが正しいとは限らない。