ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

感情問題と利他傾向

感情問題と利他傾向

家庭問題について複雑なモデルで説明する人もいるが、本質を見つめてみると「感情」の問題に帰結するようだ。

職場のトラブルも表の対立よりも裏面の感情の問題のほうが重要である。

もちろん、自己保存的な感情問題については誰しも敏感であり、集団の和を乱すような個人的な感情を抑えようとは努力しているだろう。

しかし、それとは別に利他的で集団の保存に貢献しようとする態度や感情のほうにトラブルの要因があることに注意しないといけない。

生存の条件が厳しく外敵がいるような状態では、集団の中での同調傾向や自己を抑えて協力し貢献しようとすることが無自覚に働くので、その利他的な感情は美しいものに見えるだろう。

しかし、この感情は一方では外敵を憎み、協力や貢献をしないメンバーへの懲罰的な態度を引き起こす。

現代のように巨大な人間社会が出現して、生存の厳しさが減って、外敵も減って、集団の結束力も低下して、個人として生きていくようになったとき、私たちに生得的に埋め込まれている集団性の傾向はどのように働くのだろうか。

かつてのように集団の厳しい規律や習俗、価値観によって、統一化されていた集団員とは異なって、個性化をとげた人間は、他者とのつながり方にも個性を持つようになった。

「自分のしたいことを我慢すること」が条件だと考える者もいれば、「警戒をといて打ち解けること」、「約束や計画を守ること」、「相手の立場を考えて譲ること」、「常識的な考え方に合わせて突飛な考えを持たないこと」・・など様々なルールを各自が持っている。(5つの性格特性から)

集団のなかで、各人の感情がゆれてぶつかって離れたりくっついたり、とどまることを知らない。

このような状況では安心や満足など得られないだろう。そして、それが誰かが加害者でだれかが被害者ではなくて、感情に操られた人間の悲しい姿である。

だれを恨む必要もない。感情の渦のなかにいる人はすでに報いを受けている。

そして自分の苦悩も、相手の感情に反応して自分の感情もまた引き出されて、さらに相手が反応するという渦のなかにいるから生じていることを忘れないようにしよう。

このような取り組みがなされないのは、いまだ生得的な「利他傾向」が無邪気に良いものだとされているからだ。

面談のなかで、上記のようなトラブルのなかで、自分の人格について反省している人が多いことに気づく。

それぞれの人格は尊いものであって、そこに問題があるわけではない。

ただ、自己保存の傾向と集団保存の傾向は、うまく知恵の力で使いこなさないと感情的なトラブルを生み出すのだ。