受容の拡大と集団性
出来事の受容について書いてきているが、自分の体験は「必然」「必要」「最良」のものだという。
そして、その受容の範囲を拡大していくことが大切だ。
自分なりに受容した体験に他者が思わぬ方法で介入してきたときに、その他者の態度も含めて「出来事」だと考えて受容するのだと書いた。
さらには、自分を含む、家族や職場が感情の渦に巻き込まれてトラブルを引き起こしていても、それをありのままに受け止めるしかない。
つまり「自分」はここまでだと限界をもうけて、「体験」「出来事」から切り離して、自分の分だけを受容しようという態度では限界があるということ。
つまり、それは他者が悪いのであって、自分が受容する必要はないと考えることになる。
もちろん、問題解決については、各自が自分の問題に向き合うのであって、他者の問題を引き受けて解決しようとしてはいないとも書いてきた。
ここでいいたいのは、「出来事」は一つであり、それをそのまま受け入れるという話である。
自己受容を進めていくと、自他統合の世界として出来事が見えてくる。
そのうえで、自己決定、選択という主体性を発揮して動いていく。
自分が集団のなかにあって体験していること、他者が介入して体験していること。それもそのまま受容するように取り組んでいきたい。