ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

現代社会とライフストレス研究

ライフストレス研究の基礎

�@ 目の前の出来事を実在だと扱う。

�A その実在をどのような見方(人間観・世界観)で解釈するかを「選択」することができる。

�B 出来事そのものの全体を語ることはできない。様々な見方で説明するしかない。

�C その時代や社会・集団特有の説明の仕方があり、各自がそれを共有している。

�D 各自がそれぞれの個人的な見方で出来事を説明しており、それが真実であって、それ以外はないと思い込むことが多い。

�E 本来出来事とは全体であり矛盾はない。必要、必然、最善のものだが、見方次第では不利益、不快、理不尽であり受け入れたくないと苦悩する。

�F 出来事を集団的な見方で説明すると受け入れたほうが良いこと分かるが、個人的な見方に立っている者にとっては苦悩が生まれる。

�G 出来事を個人的な見方で説明すると受け入れたほうが良いことが分かるが、集団的な見方に立っている者にとっては苦悩が生まれる。

�H 出来事を受け入れたほうがよいと理解した者は、その状況を「固定」して保とうとするが、それが変化していったとき苦悩が生まれる。

�I 出来事が受け入れられないと考えた者は、その状況を「変化」させて固定しないようにと努めるが、それが変わらないとき苦悩が生まれる。

人間の傾向性には「個人性」⇔「集団性」と「保存」⇔「変化」の二つの軸がある。

人間・集団・個人といっても、出来事から切り出して概念として特定しているものに過ぎない。

出来事はあるときには、人間が「個人」としての自覚を強めると摩擦が大きくなることもあり、むしろ「集団」としての自覚を強めたほうが出来事との融和・一体感が強まる場合がある。

逆に、人間が「集団」としての自覚を強めると出来事との摩擦が大きくなり、むしろ「個人」としての自覚を強めたほうが出来事との調和が生まれる場合がある。

この説明は、出来事のなかでは人間・個人・集団といってもその一部として溶け飛んでいるのだが、「認識」や「概念」のほうがずれが大きいために苦悩を生み出しているというこことを言っている。

また、出来事が変化を強めているのに「固定」を望んだり、出来事が変わりようもないときに「変化」を望んだりすることが苦悩を生んでいるということも上記で説明している。

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳) 

ここでは「個人」⇔「集団」という意識の切り替えによる苦悩には触れられていない。

それは「神」と「個人」の関係が支えているからだ。

現代社会では、「個人意識」も「集団意識」もある意味「概念」であり「幻想」であるが、私たちにとってはライフにおけるリアルなものである。

神なき時代にあって、各自が個人と集団のチャンネルを自分で切り替えて暮らしているが、そのチューニングが相手と合致することはない。

仮に少数でチューニングがうまくいっても、今度はその集団と外部の者ではチャンネルが合わない。

指揮者のいないオーケストラのように、各自が勝手に演奏をしているようだ。

家庭、職場、学校、地域、それぞれが集団としての自覚、個人としての自覚を切り替えて暮らしているが、それが合わずに「不協和」を起こしている。

悲しいのは、同じ「集団」モードに切り替えているつもりだが、別の曲を奏でていることには気づかない。

集団性の内実や価値観・信念もまた分岐して現代ではバラバラになっている。

むかしはよかったと復古的な価値観を志向する動きが増えてきたし、新しい宗教に集まってそのなかで集団性を満足させようとすることもあるだろう。

しかしそれは本質的な解決にはならない。

出来事の多面的・複眼的な見方、人間観・世界観の切り替え、集団性と個人性の切り替え、とくに集団のもつ精神的についての考察、あるいは集団の精神性を育てていく努力。

それが必要である。実例はあちこちに出現してきている。

これからは、その成功例もまた集めていって、覚醒する人を増やしていくことが大事だろう。

人間は社会の中で他者の言動を観察しモデルとしていくことで変容していくものだ。

今は、上記のテーマについての過渡期である。

ストレス問題に関わって20年以上が過ぎたが、より深刻になってきているようにみえて、新しい芽が出てきている。

メンタルヘルスコンサルタントとして、私もこの芽を伸ばしていく活動に参画したいと願っている。