ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

実践のチャンス

久しぶりに感情が波うっている。

通常は目の前の現象をありのままに受け止めようとして、物事をエゴで見ないように取り組んでいるが、うまくいかない体験がある。

過去の体験、閉じ込めた感情、自由にふるまえなかった悲しさ、怒り、不安が湧き出してくる。

そして、もう、同じように苦しいことは嫌だと考えて、冷静な言動ができなくなる。

広い意味では、これも、過去の感情に向き合い、解放しているのだが、これでは、自分も、相手も、周囲もうまくいくはずがない。

感情発散に過ぎないのだから。

このような場合にどうすればよいのか。

それは、この感情を抱えたままで、人生を進んでいくのだと決意することだ。

過去、受け入れていない体験があったとしても、そのときの自分にはどうすることもできず、最善のことであったし、その苦しみを与えた相手もまた、その行動をとることしかできず、未熟なものどうしが、繰り広げたものである。

だから、なぜ、相手はあのような言動をとって自分を苦しめたのか、とか、なぜ、自分はそれをはねのけて戦えなかったのか、と現時点から振り返って、怒り、悲しんでも何にもならない。

むしろ、そのときは、そうするしかなかったということ、それに付随した痛みを抱えてしまったことを受け入れるしかない。

その痛み、怒り、悲しみ、不安は、そのまま、自分自身である。

それを愛しいものとして、抱きしめて、進んでいくしかない。

「もう、おなじ苦しみをしたくない」と思うのは無理のないことだが、そうおもったからといって、その苦しみが避けられるものでもない。

かつても、避けられなかったのに、なぜ、今は避けられると思うのか。

一見すると、打開策、避けるための手のようにみえて、冷静さを書いた感情的行為は、結局、同じ苦しみを引き寄せてしまう。

新しい体験をしたいのであれば、新しい自分になるしかない。

この状況下で、自分はどのように成長すればよいのか。

不都合、困難をさけて、結果をよくしようとするのではなくて、自分がこの苦しみのなかで、どのように成長していくのか、それだけを考えることだ。

では、どうしたら、自分が成長できるのか。

新しい体験をすること、新しい関わりをつくること、そのなかで新しい信念を生み出すこと。

つまり、過去の苦しみを取り除こうとする営みは、新しい体験を阻んでいるのだ。

だから、苦しみを小脇に抱えて、結果はどうなっても、すべて受け入れていくと決心しよう。

これまでだって、苦しいことはあっただろうに、なにをそんなに恐れているのか。

過去の苦しみを愛しいものとして大切にしよう。

新しい体験のためには、自分を空っぽにしないといけない。

自分のなかを自由にしないといけない。

捉われてはいけない。

殺されるわけではない。大切なものを失うわけでもない。

覚悟をきめて、すべてを放り出して、真っ白になろう。

そこに、本当の知恵が入り込んでくる。

どこからか、導きがある。