子と親が象徴するもの
人間が自然の子であり、社会の子であり、精神的価値の子であると言ったとき。
子に対する親という観念が潜んでいる。
すべては関係性であるのだから、子と親という存在を見出すような関係性がそこにはある。
あわせて、子どうし・・兄弟姉妹という観念も出てくる。
この家族をたとえにつかった関係性は実際のところ、何を示しているのだろうか。
一般的に「親」は子を生み出し育てるというが、実は「子」があって親になり、子によって親も育てられる。
存在の相互依存、相互成長促進ということは、親子に限らない。
親も子を愛すが、子も親を愛す。
しかし、親が象徴しているのは、旧であり、子が象徴しているのは新である。
旧は新をそだて、新は旧をやしなう。
「自然」は人間を生み育て、人間は自然を養う。
「社会」は人間を生み育て、人間は社会を養う。
「精神」は人間を生み育て、人間は精神を養う。
根源から生み出されたものが、その根源をささえ、根源の作用として動いていく。
子は親に似ている。親の性質を受けついでいる。
しかし、子は親のすべてではない。
ここから、もう一度考えてみよう。