正しさについて
自分を設定すると、他者が出現する。
そして、自分が正しいか、相手が間違っているか、闘争がはじまる。
それは、自分と相手を設定したからだ。
すべてが主体性の発揮と自分なりのLIFEの創造であれば、正しさのぶつかり合いにはならない。
しかし、自分なりの価値の創造は行われるだろう。
あえていえば、正しさとは、それぞれにとって共通の絶対的空間、時間があるとしたら、そこでむき出してになっている個人が、自分と他者という関係になって、争うのだろう。
つまり、同一の領土を設定したから。
異なった領土の王であれば、ただしさも違ってみえるだろう。