ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

日々を新しくする

また、同じような記事を書いている。

つまり、ぐるぐると回っている。

印象としては、「すべてなくなってしまった。」「自分には何もない」「まっしろ」

それゆえの不安と、力を持っている人へのやっかみが湧いてくる。

しかし、思い出してみれば、ここ数年、わたしは同じことの繰り返しに飽き飽きとして、日々の新しさ、「足跡のついていない雪野原のような朝」を迎えたいと渇望していたのだった。

なるほど、こうして新しい日々は与えられるのか。

破壊があって、創造がある。古いものにしがみついていては新しいものはつくれない。

生命の新陳代謝である。

だから、目を見開いて、今あるきだした赤子のように、真っ白な頭で、何をどうしたらよいか、それを考えよう。このプロセス自体が喜びであるはずだ。

では、なぜ、私は不安になり、不調になったのか。

それは、今の暮らしを変えたくない、自分を変えたくない、だから誰かが何とかしてくれという怨嗟の声に共感していくうちに、自分もまた、その毒を取り込んで、固く、守りに入ってしまっていたのだろう。

今の私は、自由である。

どういうわけか、一昨年から準備をすすめて、長崎のオフィスを閉鎖し、相談者の面談を縮小し、企業向けの活動にシフトしつつも、実際の動きはまだ小さい。

また、契約していた研修や授業なども中止や延期になっている。

つまり、「空白状態」に今あるのだ。

何もないということは、これからどうにでも創れるということだ。

もちろん、生活もあるので収入が途絶えることは痛いが、固定費が今はほとんどかからないので、節約すれば、若干の期間は、貯蓄で耐えることもできる。

だから、あせってはいけない。ちゃんとこれからの時代に合わせて、わくわくとして、自らを変化させ、仕事を変化させていけばよい。

もちろん、新型コロナに感染して重体になり、医療の力が及ばず死することもあるだろう。しかし、そのリスクは、それ以外の危険性も加えた多くのリスクの中のひとつに過ぎない。

できるだけの行動変容をして感染拡大をしないように努力しつつ、日々の生活を構築していくことだ。

今の私に必要なのは、「新しい環境の中で、日々を主体的に生きていく」その意識を高めていくことだと言い聞かせている。