ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

この世界の不思議

日常生活でのストレスは、自分の思いを裏切るような相手の言動によって起きることが多いが、この簡単にみえる仕組みが実は、不思議なものであると思えている。

その不思議に魅せられてライフストレス研究を進めているが、そのような無駄なことはやめて、対策を講じて、それを伝えればよいではないかという意見が聞こえてきそうだ。

しかし、私は20年間にわたり、既存の理論をベースにして、対人援助を行ってきて、成果もあったとは思うが限界も感じてきたのだ。

そこで、もう一度、この不思議に向き合って、理論的な枠組みをつくりかえて、再チャレンジしたいと思っている。

自分が暮らしている世界を三次元シュミレーション時空と呼んできたが、それは「分割作用」「統合作用」によって階層的に構成された世界で、特徴は「安定性」「秩序性」「固定性」である。

自分と他を分ける。他もさらにわけていく。物質と精神も分ける。わけたうえで、さらに分割や統合を繰り返して、世界を再構成していく。

それによって、分割されたものの「運動」が見えるようになり、そこに「時間」が生まれる。

顕微鏡などの機器が発達していくことで、この分割と統合による再構成はさらにすすみ、現在の科学技術が生まれることになる。

しかし、一方で、心理学も分割と統合によって、精神を探求していったが、「自分の心」「相手の心」と分かれて、さらには、その心の因子をみつけて、その運動で心の統合をしめようとした。

こうして、すべてを分解して、運動させて、統合していくと、そこには、本当の自分もなくなり、本当の他者もなくなってしまうのだが、これは「シュミレーション」にリアルな世界が飲み込まれた姿である。

では、このシュミレーション世界とは違った世界の解釈や見え方があるのか。それは分割と統合というやり方ではなくて、この世界すべてを自分が生み出していると気づくことである。

自分には自分なりの世界の見え方があって、それは他者とは異なる。そもそも、ここでは自分とか、他者とかという区分、分解がないのだから、「世界」があると言ってよい。

いや、他者の世界が別にあるのだろうと、反論させるかもしれないが、それは確かに平行宇宙のようにあるにはあるのだろうが、見えないもの、把握できないものである。少なくとも、この世界内には存在しないものである。

この「世界」がある以上、それを生み出しているものは、世界内にはいない。この世界の背後の不可知の世界、精神の故郷、存在の根源、大きな自然、大きな物語にこそ、創造の根源があるはずだ。

この世界の創造者としての主体を「分霊」と呼んでいる。根源的な自分。

それに対して、シュミレーション世界内で分割によって生み出された「自分」と「他者」がいる。

後者のみを「真」として、暮らしていくことで、弊害が生まれていると私は主張してきた。

前者の世界創造的な根源的自分として暮らすこともまた必要であって、この双方のバランスが重要なのだと。

認知理論では、自分の認知を変えるというときに、この二つの自分の区別がなされていない。

あるいは、メタ認知として、そのように考えている自分を観ている自分の認知を強調する考え方もあるが、これもまた、認知の世界を分割・統合してシュミレーションしていて、こうして、自分が消えていくのだろうと危惧している。

この不思議な世界のことを、もっと簡便に分かりやすく、実践的に、対人援助に使えるように、理論化していくことを目指しているが、とても、困難を感じている。

従来、「主体性」を向上されるという角度から、面談の在り方を説明してきたが、その主体性とは、世界内の自己と他者の間でのことなのか、世界の背後の根源的自己の働きのことなのか、実は、あいまいになっている。

あるいは、このように難しく説明していることが「分割」ということを切り口に、もっと、簡単に整理できるのではないかとも、あたりをつけている。

この世界は一つであって、以上の記事のように、別物のように説明することこそ、不自然である。

また、瞑想状態とは、この文脈でいうと、どのような立ち位置なのか。

身体の声を聴くというソマティック心理学の立場は、どうなるのか。

あるいは、トランスパーソナル心理学でいっていることは、どうなるのか。

座標を見失った宇宙船のように、今の、私はいまだ漂流している。