ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

スキーマについて

認知行動療法でも治療が困難なパーソナリティ障害の方へ、スキーマ療法というアプローチがあるらしい。本を読んだだけなので、多くの誤解もあると思うが、いろいろと考えさせられることが多い。

深い信念の部分に、生き辛さを誘発する特定の傾向があることを見出して、援助者との共同作業によって、それを自覚して、修正していく長期間にわたる援助法であると理解している。

原因としては、幼児期の体験に焦点をあてており、ある意味、育てなおしというような援助法であるがゆえに、援助者も表面的な関わりでは許されず、人格対人格のぶつかりあいという側面もあるように感じた。

このような発達のプロセスによって、人格が成立しているという見方では、その途上の課題を乗り越えられず、問題を発生させているという機序がなりたつ。

しかし、それが強すぎると、今、ここで、自分が意志の力で自分を作り出しているという自由度が低下して、過去によって、現在が定められているという因果関係のほうを強く意識することになる。

あるいは、「時間」の経過のなかで、変化していくものとして、扱われるということだが、それでは自分とは何なのか。

様々な因子によって変わっていくものを、一年前の自分と、今の自分は、「自分」なのか。

その意味では、このような自分はフィクションである。

この世界が自分であるとすると、このなかでいかような変化があっても、それは自分のなかの変化であるということだ。

ここで、問いたいのは、人格にトラブルを抱えているというひとと、健康な人格だと言われている人も、世界内の自分というフィクションを比べているだけではないかということだ。

この世界が自分だとすると、本当に幼児期の体験で、この世界ができているのか。

世界を創造しているものは、この世界のなかにはいない。背後の精神の故郷にある。

その精神は分霊であって、それがくるっているということは考えられない。

この世界に、背後の様々な精神の力が働いているはずなのに、それが見えなくなっているのは、やはり、分霊としての世界構成の力が発揮されていないからだ。

それが、シュミレーション時空における自己利益追求型の生き方である。

生き辛い方も、適応してうまくいっている方も、その意味では同じである。

この島のようなシュミレーション世界では、一つのものが二つにわかれていく。

成功と失敗、健康と病気、神と悪魔、適応と不適応・・

その分離の刃が、人格にトラブルがある人を切り出したのではないか。そして、本人もそれを認めさせられたのではないか。

もちろん、精神疾患はどうなのだという問いがあるだろう。

最終的には、ライフの次元のうち、生命の次元において、心身がアンバランスをみせているのだろうが、その前には、生活の次元、人生の次元においても、問題が生まれていたに違いない。