ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

問題をどこにみるか

現代では問題を個人の資質にみることが多い。

しかし、実際には、問題は、その世界内の必然として起きている。

無限、永遠のなかで、個が自由に行動して何かをつかみとるということではなくて、世界は一つであって、自分も他者もそのなかで、必然として動いている。

その動きの背景として、世界の精神を読み取って動いているものもいれば、世界内の「自分」の保存と発達のために動いているものもいる。

後者は、分離の世界であって、対立と二極化を生み出していく。

調和させようとしても不調和がうまれ、それを調和させるという繰り返しになる。

その意味では、四苦八苦であれ、不調であれ、不幸、生き辛さであれ、この世界の必然として、どこかに生じていくようになっている。光をあてれば、影ができるように。

だから、この世界の苦を目にしたときに、それが自分ではなくて、ほかの人でよかったということにはならない。そのような世界ではいずれ、自分にも、自分の大切な人にも、それが襲ってくるのだから。

愛情が得られないという苦しみがあったとして、それを求め続けていくなかで、人生がくるっていくこともある。

成功をもとめ、健康を求め、個体を発達、発展させるという営みは、宝くじのようなもので、成功者のかげに、おおくの悲劇をうんでいる。

このような世界にあって、病んだ人、失敗した人、生き辛い人、それが過去から今日までの個人の生き方によってできたのだという考え方があるが、成功者と失敗者は紙一重であると私は考える。

このようにみると、この世界は、苦にみちていて、地獄のような姿もまた見せてくれる。

しかし、そのように見えるということは、私がいまだ、この世界内の自分を保護しているという証拠であって、この世界の主宰者として、この世界にどのような精神をこめていくかという取り組みに入っていないことを教えてくれる。