ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

価値観をなくした社会

新聞で高齢者のごみ捨てについて地域でサポートすれば補助金が出るような仕組みが紹介されていた。

健康面が医療保険制度で維持されていたが、介護保険制度によって福祉サービスとして介護が外部化されてきている。

(完全に外部化できずに、機能低下した「家族」への負担が多いことが問題となっている。)

家庭に属していた生存保証の機能を社会化していくという今の時代の流れである。

農林水産業を家族で営み生きてきた時代では、家族が「会社」であり家族に尽くすことが生存の条件であった。

(そこでの倫理として家族愛、親の無償の愛、親孝行、祖先崇拝、家継承の価値などがあった。)

それが企業団体の中で給与をもらって仕事をするというスタイルになると、企業内の倫理や物語が生存上重要となり、家庭は生存の実体としては抜け殻になり、価値観だけが残ることになる。

ワークライフバランスの問題も、職場という生存手段への所属意識と、家族への所属意識との葛藤として理解できる。

保育所の待機児童の問題も国会論戦となってきたが、産婦人科助産院のサポート、乳児や幼児の保育、学童保育、学校、フリースクール、学習塾、習いごとの教室、スポーツ教室など子育てにかかわる社会化。

子どもたちにとって、かつての家庭内の親子関係、兄弟関係、地域の子ども同士の関係が、いまや、学校という集団こそが重要なものになっている。

塾や学童は目的が明確なのでまだ関わりはしやすいだろうが、「学校」はひとつの社会集団であり、そこでの空気は子どもの生存上無視できないものだ。

いじめ問題や不登校、学級崩壊など、個人の発達上の問題や心理的ストレスとして扱う前に、はたしてこの学校という社会が健全なものなのかを見直そうと指摘する人も多い。

さらには、衣食住の産業化、掃除代行、食事の代行、家事代行、家の保全など便利屋、外食産業、弁当業、葬儀業、結婚業・・・

物品などの中古交換マーケット(店舗・ネット上)

家族対象の娯楽を提供する産業、レジャー関連・・

問題は、これらの社会化を支えている共有化された社会的信念・物語(神話といってもよい)がどのようなもので、それが個人の心・行動選択にどのような影響を与えているか。

ここで一つだけ指摘しておきたいことがある。

かつて、家庭の中で生存手段として、今日の医療、福祉、教育、産業界の業務にあたるものがなされていたときには、そこに感情交流や価値観の裏打ちがあった。

しかし、職場は家族とは違う、学校は家族とは違う、病院は家族とは違う、福祉施設は家族とは違う・・これは正しいし、市場経済・資本主義の考えからくるものではあるだろう。

ただ、かつての家族が持っていた価値観や文化・信念を適用するのが誤りだとしても、それに代わる新たな価値観・文化・信念が必要なのではないか。

生存手段が家族から社会化・産業化したときに、あくまで「利益」をあげることは重要だが、信念・価値観がないと、その空間は人を幸福にすることはないだろう。

生存手段としては抜け殻になった「家族」という場所に、社会のなかで見失った価値や価値観を探そうとしても、見つかるはずがない。

そして、人間を幸福にする価値観や信念を持たない社会の仕組みが、そのつけを家族にまわして問題を起こしている。

会社という集団、学校という集団、国家という集団、そこに共有できる価値観をどのように込めていけるのか。

そして、それはどういうものなのか。